陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

労働者6年目か。

 気が滅入る。大学にはなんやかんやあって6年いたから、もうすぐ並んでしまうな。

 そろそろ卒業すべきなのでは? しかしその後がなあ。

 学校には所属年数が大枠としてあると考えると、何らかの学校を出てから45年くらい労働者です、みたいなのはバランスを欠いている気がするな。

 まあ現状、教育の目的は人を何らかの労働に従事させることである、みたいな常識というか規範があるから、そうなってしまうのは仕方ないのだけれど。

 とはいえ、じゃあ6年ごとに転職するとか、無職で過ごすとか、学校に入るとかいう大枠が、人生の全体で決まっていたとしたら、それはそれで窮屈に感じるんだろうしな。

 なので結局は、自分でバランスの良い時間配分というか、人生設計というやつをやっていかないといかんのだろう。実のところ高校に行くか行かないか、大学に行くか行かないか、大学院に行くか行かないか、とかのレベルでもそういう設計をしながら生きてきたはずであってな。

 だから、単純にもうちょっといてもいいかなと思うのであれば今の職場でいいし、別に何年目で辞めてもいい。いつ辞めるべきなのかは多分自分ではっきり分かるから、そんなに心配しなくていい、はずだ。

 今の現場はそれなりに居心地悪くもないから、もう少し。現場が変わったらどういう心境になるか分からんが。

 

 人生を積み上げていくとか、道を切り開いていくとか、前のめりな主人公気取りの性向は全く不快で昔から受け付けない。

 私にとっての人生というのは流れでいつの間にかそうなって、いつの間にか何とかなって、何とかならねばそれまで、いつの間にか終わっているようなものだ。

 よって「俺は自分の人生を自分で考えて生きてきたぞ」みたいな奴がいても、「つまりそういう流れだっただけでしょ?」としか思えない。

 前のめり系の連中は自分の意志、自分の人生、という妄想を抱いているのでこの手の話は通じない。

 自分の意志が無いというのも逆側の妄想なのだけれど。

 中道を行ける人は少ない。

 「自分の意志でどうにかならないこともあるよね」くらいの意見を持ってる奴はいくらかいるが、そういう奴は大抵、自分の意志でどうにかなることと、ならないこととをはっきり区別しようとする。それで自分の意志でどうにかなるとそいつが思い込んだことについては、痛烈に責任を追及する。

 「全く同じ事象が、自分の意志で動かせることであると同時に、自分の意志ではどうにもならないことでもある」ということとか、「自分の意志というものは有るのでもなく無いのでもない」とか、「意志という概念は時と場合に応じて持ち出される道具に過ぎず、有ると言えば有るし無いと言えば無い」くらいの単純な話ができる奴が少ない。

 だからまともな人間は、意志が有るのか無いのか、意志は有力なのか無力なのか、については何処までも判定不能として沈黙するのだ。すべきなのだ。

 

 という訳であまり実のない話だったな。日記を書こう。

 今日も作業は順調に進んだ。いくらか瑕疵はあったけど許容範囲だ。

 物語を読み過ぎると綺麗すぎる有能さに憧れがちだが、現実の人間は割とミスをするし、変なことも言うし、情所不安定だったりするもんなのでこれも多分これでいいんだろうなと。