陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

なんだかようわからん

 全く以って、生まれて、生きて、そのうち死ぬということ自体が不思議なことだと言う他ない。陳腐だが。これがあまりにも不思議なので、人々は「生は何かの間違い(罰とか、因果とか)なのだ」とか、「それをそうさせる高次の意志(神とか)があるのだ」とか、むしろ「実は死は存在しないのだ」とか、「そんなことを考える前に行動しよう」とか、「死があるからこそ生の幸福を噛み締めることができる」とか、色んな誤魔化しをしつつ生きて、やっぱり死んでいったのだ。不思議さを誤魔化せば、そういう結論はすぐに出てくる。誰でも、それなりのものを簡単に出せる。どんな素敵な考えであれ、それは全然大したことではないと思う。

 「人生を素直に楽しむ能力の無い奴、自分の人生から逃げている奴が、負け惜しみで人生に疑問を持つのだ」というような考えもあるし、逆に「人生とは根本的に惨めなものだという事実から逃げる弱い奴が、人生の幸福という滅多にないものを一般化して威張り散らしているだけだ」という考えもある。「逃げ」という言葉はどういう方向に対しても使える。だから誰もが逃げているし、誰も逃げていない。逃げることから逃げることすら可能だ。