陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

今日もなんもしなかったな。

 いや、したんだけどあんまり覚えていない。活力が低下している。

 

 タブレットを新しくしたことで読書欲が刺激されたか、Kindleで色々読んでいる。前使ってたのは8インチだが、新しいのは10インチ。固定レイアウトでも全く問題なく読めるサイズ。

 

 三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)を数日前に読んだ。

 

 読書ができないのは長時間労働のせいで暇がないからだと思われがちだが、そもそも日本の労働時間は昔から長かった。なのに昔の人の方がよく本を読んでいた。

 よって原因は別にある。それは現代人の価値観の重心が「ノイズの除去」にあることだ。つまり現代人は物事を単純化して、コントローラブルな面のみを見て「行動」することに注力し、アンコントローラブルな面を無視するような傾向を持つ。(アンガーマネジメントも自己責任論も「嫌われる勇気」も全部これだ。全て自分次第、自分にできることをこつこつやっていこう、変えられることと変えられないことを見分けてほにゃらら、量こそが質、とにかく行動することが常に良い結果をもたらす云々。)

 

 ところが読書は本来自分の人生とは異なる文脈を知り、人間や社会や世の中の複雑さを知識として得るためのものであったから、価値観と齟齬をきたし、結果として現代人は最早読書ができなくなっている、というような話が書いてあった。

 昔の人が読書していたのは立身出世のために教養を身に着ける必要があったからなのだが、現代での成功のコツは情報の取捨選択、特に不要な情報の切り捨てからの具体的行動にあるとされたことが読書量低下の主な原因ということらしい。

 

 要するに生活が張り詰めており、こせこせしていて余裕が無いのが問題らしい。それは常に体感しているところだ。私自身のことというより、時代の雰囲気として。

 結論として、労働に全力でコミットして単線的な生き方をするよりは、半身で労働して、労働外の文脈を取り入れた方が豊かに生きられますよ、みたいな話だった。それはそうだな。

 

 ただまあ、この本を読んでいるような人は既にそういう生き方を実践している人ばかりなんじゃなかろうか、とは思った。この本を本当に必要としている人は、むしろこの本を自発的には読まないし、読んでも理解できないんじゃなかろうか?