陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

仕事の合間に山森再読

 今日もなんか書くか。なんかあったっけ。仕事はやる気ねえし。やる気ないので山森亮ベーシック・インカム入門』をちらちら読み返しています。この著者、名前はあきらさんだと思ってたんですが、とおるさんだったんですね。著者紹介を見なおして気付いた。

 実はそんなに読みやすい本ではなかったんじゃないかなあ、と今読むと思います。なんか文章の脈絡がつかみづらいというか、きれいな流れになっていないような感じの本なのです。しかし情報の密度は濃いので、よく読んで整理していかないといけません。

 昔のフェミニズム運動の中で、「家事労働に賃金を!」って主張があったらしいんですね。これは「主婦に金払え」って話じゃなくて、「家事もまた労働の一種なんだから、他の仕事と同じようにやりたい人にやらせて、賃金を払うようにしろ、結婚してる女だからって家事を強制するな」って主張だったらしいのです。その上で、「保証賃金=ベーシックインカム」を支給しろ、という要求が出てきました。当然と言えば当然の帰結かもしれないですね。フェミニズムは女性を自由にする運動で、自由になるには生活が保証される必要がありますからね。当時の多くの女性たちは工場で8時間働いたうえで、なお家事や育児をやらされていたので、我慢の限界だったようです。女性が福祉に繋がる条件がきつすぎました。「同棲ルール」なるものが存在し、男性と同棲している、または男性と定期的にセックスしている女性は福祉を受けることができなかったんだとか。だから家庭でセックスしているかどうかしつこく監視されていたそうです。そんな私的な領域に乗り込まれて、しかも受け取れる金は日用品が最低限買えるか買えないか位の額の金しか受け取れず、何をどこで買うか指定されるとか。男とセックスしてたら福祉なし、っていうのは、つまり「その男に養ってもらえばいいでしょ」ということで、まあすごい偏見ですよね。セックスしてたからって養ってもらえるとは限らんし、貧しいのはその女性個人であって、個人が福祉を受ける権利があるはずなのに、それが侵害されていたと。そして女性からは離婚すらできない、男性からならできる、しかし離婚したら子供は男性側が引き取る、とかそんなルールもあったらしいです。だからと言って結婚したままでいれば、賃金労働と家事労働のダブルワークで自由な時間なんかない訳ですから、どう見ても女性は抑圧されてたんですね。だから解放のために、「家事は労働だ、結婚している女性に無理矢理やらせるな」となり、そこから「学生は将来の労働者なのだから、労働者階級の一員だ、従って賃金が発生すべきだ」と主張する学生運動と合流し、そして「福祉に条件を付けるな」となり、こうなるともうベーシックインカムの主張になっていくわけですね。資力調査とか、生活の監視とか一切要らんだろうと。もういいから全員に配って所得を保証しろと。

 現代日本生活保護でもそうなんですが、対象を絞ろうとすればするほど問題が生じますからね。本来受け取るべきはずの人が、下らん基準のせいで受け取れない。窓口撃墜される。受け取るための審査を色々パスしないといけない。福祉を受け取るために色んなものを犠牲にしないといけない、本末転倒があります。自由と平等のためには対象を絞ってはならないのであり、この点上記のイタリアフェミニズム運動は正当な発展をしていたんだなあという感じです。