陰雑記

日記とか

ガイ・スタンディング『ベーシックインカムへの道』

 ガイ・スタンディング『ベーシックインカムへの道』を読み終わりました。。途中まで読んでしばらく放置してたんですが、ようやく。(括弧内はページ番号)

 えーと、この本は表紙に書いてある通り、ベーシックインカムによって「正義・自由・安全」がいかに実現されるか、とか、その実現可能性とか、実際に行われた実験の紹介とか、そんな感じの本です。データを用いて客観的に、そして誠実に書かれている本です。誠実というのは、「ベーシックインカムがあれば全てうまくいく」とかの誇大広告ではなく、限界はあるけどとにかくこんな良いことがあるよ、というのを淡々と書いているってことです。

 ともあれまず正義から言えば、この本で言う正義(社会正義)とは平等の理念に基づくもので、特に「社会配当」という考え方についてのものです。古くはアメリカ独立戦争で有名なトマス・ペインが主張した、人間には私的財産とは別に共有財産というものがあるはずだ、という考えが元になっています。とりわけ土地とか、天然資源とかは誰が作ったわけでもなく、誰のものでもない。土地が私有されているのは、ただ後から来た人間が勝手にそういうルールを作ったからです。(「のび太の日本誕生」にも似たような考えがあったような。)それで本来は、土地がもたらしてくれる利益や資源は、その土地と関わりを持ち得る誰もが、ある程度アクセスする権限を持つはずのものです。また全ての財は土地を基盤にして生産されるわけですから、結局のところ全ての財産が、完全に私有であるわけにはいかないということになります。正確には土地を改良して利益を生むことができるようにしたその努力だけが私有されるべきであって、飽くまで土地そのものはみんなのものだよね、という考えですね。このような考えに従うと、「ベーシックインカムは、先人が創造・維持してきた社会共通の遺産から給付される社会配当、そして、万人のものである共有地と天然資源が生み出す収益の分け前と位置づけられる」(40)というわけです。

 次に自由についてですが、社会における自由って要するに何なの?って言ったら第一に金があることでしょう。金があるから自由に物が買えるし、自由な時間も手に入るのです。だからベーシックインカムで万人に金を配ることは、人生の自由度を直接的に改善させます。ベーシックインカムはこの窮屈な社会をある程度緩くし、ある程度自由にし、ある程度怠ける自由を保証してくれます。怠惰な生活は誰も幸せにしませんが、そうする権利もあるはず、ということを著者は強調しています(206-209)。ましてその怠惰というのが「賃金労働をしていない」ことを意味するならそれは全く馬鹿げています。退屈で嫌な労働、自分の人生が充実すると本人が思えないような労働が、生活のためだけに強制されるようなことがあってはなりません。宝くじが当たって大金を手にした人々は仕事をしなくなるかというと、そうではなく、今の嫌な仕事を辞めて、自分が本当に楽しいと思える職に就くように活動を始める場合が多いそうです(191)。ベーシックインカムにも同様の効果があると考えられます。

 最後に安全についてですが、これは主に貧困対策の観点です。ベーシックインカムは飽くまで少額を配るもんなので、それだけで全ての貧困を撲滅することはできない(115)んですが、そのための一歩にはなるでしょう。そして著者が強調するのは、単純に金を配るだけで心理的問題が解決するケースは多い、ということです。ベーシックインカムへの反対意見で、配った金が有意義なことに使われず、酒やらギャンブルやらで浪費されてしまうだけなのでは?というのがあります。そもそもそんなん個人の勝手だろという話なのですが、しかし貧困者についてそういうイメージがつきまとうのは何故なのかというと、貧困状態では単純に判断能力が落ちるからだ、という答えになります。ベーシックインカム的な実験をやってみたら、配られた金はほとんどの場合で有意義なことに使われました(98-101)。つまり現状の貧困者にまつわる負のイメージは、むしろ実際にベーシックインカムを実行してしまえば払拭される程度のものである公算が大きく、ベーシックインカムに反対する根拠にはならないのです。とにかく、一定の収入があるというだけで、心理的安全が最低限確保されるから、貧困から抜け出すこともまたより容易になるということですね。現状の福祉(日本で言えば生活保護とか)は厳しい資力調査もあり、細かい報告をするだけでエネルギーを使い果たしてしまい、結果貧困から抜け出すための行動がむしろ取り辛くなる体たらくですから、どちらが良いかは一目瞭然です。

 「血税」によって食わせてやる制度だと理解されてしまうことが警戒されている(327)のも重要なところだと思います。とにかく血税の話になると、納税者というのはどこまでも冷酷になりますからね。血税の概念が先行するから、誰にそれを受け取る権利があるのかという話になり、資力調査が行われるようになり、制度は複雑になり、結局福祉が機能しなくなっていきます。だから分配を受け取ることは、血税以前の権利、正義でないといけないのです。そこで最初の正義の概念が重要になるのです。ベーシックインカムは単に貧困対策というだけでなく、もっと大きな社会正義、権利の実現である(327)ということですね。なおこの本では触れられていませんが、財源の問題については、そもそも現行制度上で税金を財源にしているということ自体が勘違いだったんじゃないか?という研究が最近進んでいて、解決されつつあります。この本的には、財源なんてのはどこかしら削れば必ず用意できるし、要はやる気の問題で、福祉の優先順位が低すぎるだけだ、という感じの見解ですね(179-180)。

 とにかく、相互主義(受けた待遇と同じだけのものを差し出さなきゃいけないという考え方)ではベーシックインカムはできないです。これについて軽く歴史の話がされているのが面白かったです。「一九四一年には、ローマ法王ピウス一二世が馬鹿げた声明を発表し、労働はすべての人の権利であり義務でもあると述べた。このように『権利』と『義務』を一体化させる傾向は、今日も続いている。『権利には責任がともなう』といった相互主義がしばしば唱えられる。この考え方は、福祉受給者に就労もしくは職探しを義務づける主張に結びつく。しかし、そのような発想は権利の本質を揺るがす。権利は、相互主義を条件にすべきものではないからだ」(200)。相互主義っていうのは、少人数の共同体でカツカツの生活をしている場合、つまりただ飯を食わせる余裕が無い場合に成り立つものであって、現代の先進国で容認できる規範ではなくなっていると私も思います。何にしてもベーシックインカムに反発するのはこういう相互主義的発想を持った人たちで、これをまとめると「社会民主主義者、改革派共産主義者、旧来型の労働組合など」(328)ということになるみたいです。「とにかく働け、話はそれからだ」みたいな感じの。でもそもそも労働って利他的行為のはずで、利他的行為を普及させたかったら、まず共同体そのものがトップから利他的になって、配当を与える方が理に叶ってますよ、みたいな話を著者はしてます(328-329)。私も全く賛成ですね。

 とにかく色んな観点から細かい(といっても素人でも割と理解できるくらいの難しさですが)議論が重ねられているので、読み応えがありました。細かくは覚えてられないくらい……なのでまたちょいちょい読み直さないとなあと感じる本でした。ベーシックインカムについてはこれを何度も読むだけでいいんじゃないかな?