陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

労働労働疲れた疲れた

 今日は忙しかった。疲れた。来週も色々あるけど今日はもう休むことにしよう。5日も人生をドブに捨てたわけだからな。

 なんと今週は読書をしていない。いや投資の本と仕事の本は読んだが趣味の本を読んでない。夏休みから偉い落差だ。時間がないわけじゃない。気力がない。読みたくならない。しかしそれは読まなくても大丈夫ということではなく、ただただ悲しい。労働に人生を邪魔されている感じだ。これ新入社員の時からずーっと思っているのだが。

 自分の人生に後悔はないが、文句はたくさんある。「あれをやればよかった」とか、「今ここで何をどうするかの決断」とか、そういう「選択」的な話はかなりどうでもいいと思っている。どうせなるようにしかならない。ただそのなるようにしかならない流れの中に苦痛がある、というこのこと自体が純粋に気に入らない。こういう悩みは特定の原因に遡って解決することができない。これもまた流れの中で勝手に解決するのを待つしかない。

 

 ということで地を這うような気分であります。なんかもう夏休みが遠い記憶になりつつある。あれが本来の生活なんですがね。労働と余暇、じゃねーんですよ。労働は異物なのです。自分の生活に食いこんでる棘です。ちゃんと処置して抜き取らないと最悪死に至ります。まあ棘を吸収して身体の一部にできた猛者もたくさんいるんですけどね。しかし彼らでも時には痛むことがあるらしいですね。

 それはそれとして、本当にね、余暇ではない。暇じゃねーし。さっさと自分の人生を生きないといけない、のに、現状は何ですか。生活の全てが労働を中心に回っている。労働のために起きて労働のために食べて労働のために寝る! 元始、生活は実に太陽であった。真正の人生であった。今、生活は月である。労働に依って生き、労働の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である!……月ならきれいだからまだいい。泥塗れです。真正の畜生です。……いや元始って、昔の人の生活はもっと労働中心だったし、自分の子供時代のことを言うにしても親から庇護されてたからこそ「人生」を遅れていたわけですが、そういう事実もひっくるめて絶望します。「これでもまだマシな方ってマジ???」っていうのと、「デフォルトでは人生が与えられていないってマジ???」っていうのとね。なのでね、元始っていうならいっそのこと人類が生まれなければよかったなって。どうせ人生がないなら人類が要らないでしょう。言い過ぎ。しかし比喩ではない方の真正の畜生として生まれていればもっとずっと良かったのではないかとは思ってます。