陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

すべきことは色々あったはずだが、いまいちやる気が出なかった。

 つまりいつも通りだ。

 

 和室の襖や障子を取り換えようということになっていた。それで業者が午前中に来る予定だったのだが、向こうの手違いで夕方に来ることになってしまい両親が揉めていた。

 私はほぼ関係ないので不干渉で行く。

 

 冷蔵庫の中がほぼ空になっている。父に付き添って飯を食いに行った。クリーニング屋に行ったり、修理に出していた父の靴を受けとったりした後で焼肉屋へ。

 安いランチ肉とご飯大盛りを食った。空気が悪いのか途中から軽く頭が痛くなった。

 

 家の中でカツオブシムシを頻繁に見かける。衣類についてるのは見たことないけど、気付いてないだけでけっこう食われてるんだろうか。

 

 価値観について。

 強者が弱者を助けるのはかっこいいことだ。弱者は助けられることで得をする。強者は名誉が得られる。だから現在弱者である者も内心強くなろうとするし、より弱い者を助ける、、というのが名誉・美学に基づく理想的な状態だ。

 現実には、表向き誰もが平等ということになり、弱者が根本的には弱者と見做されなくなってしまった。

 弱者がいないので、強者が助けるべき相手がいない。こうなると、「弱者を助けることは弱者に対し失礼なことだ」とかいう価値観も出てくるし、誰も助けてくれないせいで、自分が弱者であることを弱者自身が認めなくなる。それどころか弱者であることを主張する者が詐欺師扱いされたりもする。生活保護叩きとかがそれだ。

 という訳なので人は皆「本来は平等な能力を持つ」とか、「平等なプライド(?)を持つべし」とかいう教義は害悪だなあとぼんやり思った。そしてこういう平等さの根源がどこにあるのかというに、やっぱり民主主義的な、「平等な一票」のような概念が悪いのではないかと思った。民主主義の下では全員が対等な主体のように扱われてしまう。これが良くない。実際は対等ではないのにそれをごまかしているところとか、力の無い者が主体になろうとするところにそもそも無理があるところとか。

 この辺のことはこの先もうちょっと考えていきたい。