陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

また労働

 例えば「仕事のパフォーマンスが最近下がっている」みたいなことがあったとしても、「知らんがな」としか思えない。これが自分の仕事だとは思えない。自分で選んだとか、責任を引き受けたとも思えない。しなければならんとも思えん。

 何をどう考えてもさあ、働かないと金が手に入らなくて生きていけない、世間体が悪い、とかそんな理由で、ピンハネとかも甘受して働いてあげてるだけじゃん。主体性もクソも無いと思う。というか主体性って文句言わずに真面目に労働することでしょ? 「自分事」とか言っちゃってさあ。いや、とにかく「主体性」「自分事」って概念さえ用意してそれを叩きつければ納得しちゃう人は一定数いるから、それで間に合うんだろうけど。人間は所詮概念の奴隷だからね。言語が我々を作る。はは。

 「自分のいる場所があって与えられた役割があって、そこでどう頑張るか、というだけの話なのだ」と語っている人がいたが、その人は仕事をやる気満々なのだ。一体その発想の何処から主体性だの積極性だのが出てくるのか不思議でならない。だから多分彼は自分が仕事を頑張れる根拠を述べていたわけじゃないんだろう。結論(「俺にはやる気がある」)を反復していただけなのだ。「考えていても仕方がないし、やるしかないんだから頑張れ、嫌なら転職しろ」としか言わない人もいた。しかしなんで「やるしかない」んだろうか。誰も彼もなぜあんなに一生懸命なのか。

 

 「労働は人々の支え合いなんだぁ~社会を成りたたせるために必要なんだぁ~」も概念としてはよく聞きますが、その支え合いに機械技術が入ってきてもうずいぶん経ちますね。人間のすることはどんどん機械で置き換え可能になってきました。その上で人間たちは何やってるんでしょうか。余計なことばかりしてるんじゃないでしょうか? この期に及んで全員参加で支え合う必要があるのか? 「参加する者だけが報酬を得る権利を持つ」って料簡狭すぎじゃないでしょうか。「昔と比べて人口が増えたから労働も増えるんだぁ~」って、機械を増やせばいいでしょう。なんで人力なんですかと。

 

 私がやってる仕事ですら微妙ですからね。こんな10年後にすら使われてるか怪しいシステム作って売って何になるの??と度々思いますもの。というかその作ってるものですら、飽くまで私の常駐先が作ってるものであって、私自身が所属してる会社は手数料を取って安く人を売ってるだけ。今すぐ潰れても何も問題ないですね。でも所属している以上は自分の仕事が社会に不可欠であり、誇りを持つべきだと思い込む義務がある。

 

 まあ、とにかく、仕事は自分事でも何でもないですが、仕事というのが何なのかを考えることについては、これは間違いなく自分事ではあるので、何とかしたいですね。はい。