陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

労働労働ろどろど労働

 コンビニのツナマヨおにぎりが美味しい。マヨネーズあんまり好きじゃないけどこれは別。

 

 目標が立たない。困った。期限は来週月曜か火曜くらいまでは延ばせそうだがそれでもきつい。

 生活のためにやってるだけなのに求道者みたいな態度を求められるのがクソ。労働は労道、人生の修行ですか。確かに日常性を修行とする風習は禅とかにあるけど、それが狂った形で取り入れられてるような気がする。

 

 まあ労働が宗教なのは今更だが。所謂「過剰な労働」は批判されるようになって久しい(その割に改善はされてない)が、過剰じゃない労働、普通の労働について批判する声はまだまだ全然出ていない。「普通の人は働くものだ」とか「真面目に働くことは美徳」とか、ごく自然に言われているけどこれ自体が現代ではもはや宗教的態度だ。そもそも全員で働く必要あるのか?ってところを問わないといかんだろうに。

 全員が実質強制労働させられる現状が打破されてこそ、修行としての労働も完成されるってもんだろう。本当に自分の意志で参与してこそ、求道者のような態度が醸成されるはずだ。生存が保証されてこそ、自己責任の論理もまた本当に正しくなる。

 

 目標管理制度とかいうゴミが現状で存在するのはおかしい。また全員が望んで労働するようになったら自然消滅するはずなので、どちらにせよ要らない。

 

 人手不足だのなんだの言っているが、本当に人手が足りないなら給料は上がるはずなのだ。上がらないのは、上げるための金が無いからだ。金が無いのは景気が悪いからで、景気が悪いのは所得が低いからだ。だから所得を上げればいい。給料を上げるのは無理なので、配ればいい。景気が良くなれば人手不足は解消される。誰でも金は欲しい。

 みんなが働かないといけないから、「代わりはいくらでもいる」ということになって待遇は改善されない。これは企業が悪だ、資本家が悪だということではなく、構造上必然的にそうなる。

 働かなくても生活できるだけの金を全員に配れば、待遇は改善する。それで誰も働かなくなるなら、なればいい。人はそこまで愚かじゃない。必要なことは、相応しい人物がやるだろう。無責任とかじゃなくて、本当に誰かがやるのだ。やりたがる人はいるんだから。それに機械技術のお陰で、必要な人員はもはやそこまで多くない。誰もいなければ、相応の報酬を用意するしか無い。そのためにも、十分な金が世間に行き渡ってないといけない。

 少なくとも現状の、低賃金奴隷労働(しかもエッセンシャルと呼ばれる)の上に高給取りクソ仕事が蔓延している地獄よりはマシになる。「仕事が無くても作らなきゃいけない」から、中抜きも流行るしどんどん複雑化するし、クソ仕事ほど儲かる。

 

 本当に、目標管理クソ制度がなければ、ここ最近は文句のない日々なんだが。

 

 求道なら別で間に合っている。労働ごときに人生の主役面をされたくない。