陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

昼から出社。

  今日はちょこちょこした作業を複数、よく働いた。及第点だが達成感は無い。

 先輩が置いていった酒を配った。私はまだ日本酒の気分にならないので飲んでない。

 ナイロンマスク顎にかけられない問題は、単純に紐が長いものを買うことで解決した。

 

 メンタルは少しずつ回復してきている。ここ最近の不調のきっかけはやっぱり3週間前の旅行だったような気がする。

 

 スクワットと、バルトークの音楽は多分メンタルに良い。不安な時には不安な音楽を聞くと和らぐと聞いたことがある。

 

 「普通の人が言わないことや世間的には言ってはいけないことでも、それを敢えて言う役割の人が必要だ」みたいな信条を持った人はいると思う。

 ポストモダン被れの。質より量、とにかく雑多な言説の齎す混乱の中から何か良いものが出てくるはずだ、みたいな楽観論の。

 確かにできる限り多くの発言が現実になされるべきだと思うし、どんな有害な内容でも、斬新でさえあれば一瞬だけ称えられていいと思う。でも一瞬でないと駄目だ。

 有害なもの・誤ったものは叩きのめされないといかん。飽くまで叩かれ役・道化・馬鹿な奴・糞野郎として扱われてくれないと困る。有害な発言を敢えてするというのはそういう覚悟と共にあるべきだ。

 なんだが、昨今は叩かれた方が売れるもんだからなあ。叩かれたことにならないんだよな。情報が広まり過ぎて、必ず一定数支持層ができてしまう。

 それで有害な発言を有害だと検知できなくなっている。どんな発言にも必ず賛成と反対が同じくらいつくから、全ての価値観が相対化されて見える。

 そこで根拠のある思考から自分の見解を出せればいいのだが、大抵の奴は単に勝ち馬に乗りたがるので、なんとなく強そうな方につく、で終わってしまう。

 ネットの外での社会生活上ではそこまで強い相対化は無いように思う。まあ勝ち馬に乗ろうとするのは同じなんだが。

 人間っていうのはその場その場で周りに合わせて適切な方法を探っていく生き物だからな。自発的に考えて動くことの方が稀、というか自発的思考も集団の規範を根拠にしていることがほとんどだ。

 そう考えるとネット上での活動も、ネット外での生活の延長上にあるんだな。

 情報がやたら相対化されている状況で、偶然出会ってしまった集団の規範に従って自動的に思考する奴がネット上にわんさか出てくる。自動思考Aと自動思考Bが衝突し合っているばかりで、議論にならない。そんな感じだよな。最近は。