陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

今日は在宅。

 18時に終業してからすぐ寝たけど、22時前に起きた。

 24時までぐだぐだしてから、カップ焼きそばを食いビールを飲みおでんを食った。

 

 巨乳の仲間由紀恵がヒーローをやっている夢を見た。

 ノースリーブでヘルメット無しの黒い戦隊ヒーローもののスーツみたいなのを着ていた。

 手足をシャカシャカ動かしながら超高速で這い回り、悪人や悪霊をボコボコにしていた。超強くて自信に満ちていた。主観視点だった。。

 舞台は未来の外国っぽくて、お掃除ロボットが野外を徘徊していた。お掃除ロボットの使う洗剤を塗るシートみたいなやつが胸に張り付くのが最近の悩みだとか言っていた。

 女の子の家に侵入し、間違いなくやばい悪霊の入った箱をスルーした。

 

 他人から見てどうというよりは、自分がその都度やりたいことをできているかどうかが大事なんだろう。

 私の問題は、生活に占める労働の割合が大き過ぎて、やりたいことができていないことだ。

 

 やりたいことができても、それが何らかの結果に結び付かないと虚しいんじゃないか?

 しかし結果とは何か?

 ここで言われている結果というのは社会的承認のことだろう。言い換えれば見栄だ。

 虚栄やら、より良い立場を求めて汲々とすることは人を幸福にはしないというのは昔からはっきりしている真理であってだな。

 

 でも「承認や評判なんか下らないよ」って言ってる奴は、実際それを持ってるから言えるのであって、持たずに言うのは違うんじゃないか?

 いやいや、持ってないやつでもそういう知恵を予め得られるように、わざわざ偉い先人たちはそう書き残してくれた訳であってだな。

 そう書くのが気持ちよかったのかもしれん。ーーいやいや、先人たちがそんなゲスい優越感を持ちながら「地位なんか下らないよ」って書いてたと思うの? あり得ないでしょ。

 

 書き残した言葉が実際残っているというのが偉さの証明なんだよなあ。書く方は与える方であり、偉い。読む方は与えられる方であり、偉くない。だから書いてたくさんの人に読まれる人は偉い、とこうなる訳ですよ。

 それはそうだし偉い人は自分が偉いと自覚してるけど、それは別に、生まれた時からこういう才があったからこうなっただけだ、って考えてた人が多いように思うよ。なんか気付いたらこうなってた的な。努力でどうこうっていうのは極めて現代的。

 

 偉そうにはするけど内心偉さを信じてないってこそがあるでしょう。それをチラッと見せられると尊敬しやすくなる。そういう戦略なんじゃないかな。

 なんかでも、そういう下衆の勘ぐりって現代のテンプレだよね。ニーチェ以降の暴露心理学が通俗化して常識になったというか。

 「お前だって実はこう考えてるんだろ、俺は知ってんだぞ」みたいな態度は多く見るけど流石にダサい。

 それで結局どうなるの?ーー偉さなんか求めてもしょうがないっていう最初のところに戻る。