陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

毎度お馴染み家族旅行のコーナー。

 昨日は2時半ごろ寝て、今日は5時半に起きた。バスと電車と新幹線で京都へ向かう。どれもこれも思ってたよりだいぶ混んでた。旅行に行く人は多いらしい。

 東京駅から新幹線。乗る前にお腹痛くなってトイレへ。トイレットペーパーが芯の無いタイプだった。あれ最後の方使いにくいのよね。トイレ行ってる間に親がビールやら買っていた。

 新幹線内でおにぎりと唐揚げを食ってビールを飲む。10年ぶりくらい?で乗ったけど速いね。景色がどんどん田舎になったり、街になったりした。

 マスクは二重にしている。が、ナイロンマスクの紐が固く、顎マスク状態にできないせいで食事が難しい障害が発覚。対策のため、マスク着用補助具をアマゾンで購入。


 京都駅についてからまた電車で2時間かけて天橋立へ。隣は知らない人だったので、ずっと窓の外を見ていた。そのせいでやや首が痛くなった。途中で何度か寝落ちした。


 天橋立。父が空腹でイライラしていた。ガキか。一番近くの店はなんか微妙そうだったので、とりあえず周りを一周して飯屋を探す。やけに高い店とかが多かったが、最終的に普通の定食屋に入った。と思ったらその店は実は最初にスルーしたところだったことがわかりアホくせ、となった。テーブル席は空いておらず座敷に着席。老人には姿勢を維持するのがきついらしく父がぶー垂れていた。挙句出てきたレモンサワーが少ないと文句をつけ少し足してもらっていた。恥ずかしい。

 干物(焼き魚)定食を食った。普通に美味い。骨が結構柔らかくて、ほとんど丸ごと食えた。が、やっぱりよく噛まないといけなかったので顎を酷使。疲れたし時間がかかった。会計時にクレジットカードがなぜか使えずちょっとつっかえた。料理準備中のおばさんがそ、の時だけやたら咳き込んで食事に飛沫をぶっかけていたのが嫌だった。マスクしろよ。

 まあいいや。宿までは700mで、私と母は歩くつもりだったが父はタクシー一択と主張し、まあ足並み乱すのもあれだし、ということでタクシーに乗った。ものすごい急勾配の坂道を登って行って到着。歩けば歩けなくはないが、確かに老人にはきつい道だろう。

 登っただけあり景色の良い宿・部屋だった。昭和の天皇陛下も泊まったことがあったそうだ。古くは将軍足利義満を迎える亭舎だったらしい。そんで「将軍登臨して感賞措かず亭に玄妙の二字を賜ふと。蓋しこの地典雅高潔 脚下に宇内の絶勝天橋立を俯瞰し、遠く水天一碧の汪洋を眸裡に収めて宇宙の玄妙を体得せるより迸発したる語辞なること・・・」とパンフレットに書いてあった。眸裡はぼうり、迸発はほうはつ。後に僧侶が修行する場になったことで庵がつき、玄妙庵という名前になってそれが宿になったそうだ。ふーん。

 とりあえず天橋立をじっと眺めてどこら辺から宇宙の玄妙を感じ取れるのか検証してみたが、ちょっとよくわからなかった。手前の曲がってるところが竜の頭に見えます、とかいうのはわかるんだが。私としては「良い曲がり具合ですね」としか言いようがない。曇っていたのでいまいち水天一碧ではなかったのも要因かもしれん。まあきれいはきれいだ。

 もう少し高い山が裏手にあるからそっちに行ってみようかという話もあったが、疲れてたのでやめた。父は早々に昼寝を始めたし。ということで風呂に入った。狭いけど綺麗な風呂だ。誰もいなかったのでのんびりした。用意されていた浴衣が小さかったので大きいのに替えてもらった。

 綺麗と言えば部屋も綺麗だ。なんか広いし。古いところは良い感じに残して、壁とか梁とかは新しくしてあって高級感がある。実際高級なんだろう。金を出すのは母なので、私は知らん。


 暫く部屋でのんびりして、ちょっとだけ寝てから食事へ。うとうとするたびに父が話しかけてきたりテレビをつけ始めて睡眠が妨害されるのが最低にクソだった。ふざけるな。

 で、食事はなんか蟹がいっぱい出た。飽きるくらい出た。明日も蟹。向こう数年は食わなくていいくらい食えそうだ。いや、もちろん美味い。美味いけど多い。長い。やっぱ2時間かけて食事を摂るのは狂気だと、旅行に行く度に思う。個室で食った。なんかこの宿部屋が17個しかない上に半分くらいは現在使用していないんだとか。道理で他の人を全く見ない。その分サービスが手厚い。雑炊のネギが苦手だと言ったら、もう入ってるネギをわざわざその場で全部取り除いてくれた。父は実はあんまり蟹が好きでは無いと言ってぶー垂れていた。なんなんだこいつは。いや、いつものことだ。明日は父の分だけ蟹以外のものに替えてくれるそうなので、まあ良かったっすね。


 食事を終えて部屋に戻った。布団が敷かれていたが、天橋立が一番良く見える窓がなぜか襖で封鎖されており、開かない。なんだこりゃ。まあその隣の窓は開いてるから朝はそっちから見ればいいんだが。


 という訳で寝る。疲れた。正直せっかく三連休なので、旅行なんぞ行かずに家でじっくり寝ていたかった気持ちはある。自室のベッドが恋しい。とは言え恐らく馬鹿みたいに金がかかっているこの旅行を楽しまないのは倫理的にどうかと思うので、明日は頑張る。……何を?

 

 両親が寝静まり、一人で過ごしていたらようやく多少気力は回復してきた。イヤホンを忘れて音楽が聞けないのは痛い。

 

 以下は旅行関係ないです。


 新幹線の中で、ショーペンハウアーニーチェの関係についてぼんやり考えた(前もあったな。なんで旅行に行くとニーチェについて考えたくなるんだ?)。

 一応ニーチェショーペンハウアーにいつ時期傾倒したけど、後に批判・対決して真逆の立場を築いた、みたいなのが一般的な(もしかしたらちょっと古いのかもしれんが)哲学史的常識だ。が実際のところショーペンハウアーからニーチェにそのまま継承された部分もかなりあるはずでそれがどういう点なのか、というと。

 生への盲目なる意志は、権力への遊戯する意志に転換された。でもまあ盲目さも遊戯も、結局のところ無根拠(因果・目的の欠如)ということを言ってるだけで大意は同じだろう。自己保存欲求なのか自己増大欲求なのかという違いはあるけど、うーん、見ていたものは大して変わらんと思う。要は世界は動いているってことを言いたかったはずだからな。

 表象としての世界についてはどうか。「世界は私の表象である」はともかく、ショーペンハウアーは元来盲目な意志が認識を備えることで自己を究明して、結果自己否定に至る場合があることを示した。その点で認識っていうものの偉大さみたいなものが説かれてはいるんだが、それは飽くまで直観的認識の結果であって、理性的認識の結果じゃない、って後ところが重要なんだな。理性的認識=概念的認識についてはショーペンハウアーもかなり軽視というか軽蔑しているところがある。「直観に立ち止まる限り誤りはありえない。誤りは抽象的認識つまり概念においてしか生じない」っていう風に言う。これはそのままニーチェの「真理というのは特定の立場からの解釈のことであって、絶対的ではない」に通じるものがある。ショーペンハウアーも解釈って言葉は時々使う。「私の立場は飽くまで経験的事実に基づいて現象を解釈してみただけのことだ」的なことを主著続編二巻の終わりで言ってた、はず。そもそみショーペンハウアーが何より重視してたのはカント解釈の結果としての「現象と物自体との峻別」であって、まあ彼も自分の哲学を真理だ真理だとは連呼するけど、それが所詮は解釈だってこちは自明だから敢えて言わなかっただけのことである、はずだ。「表象と意志」との対立は「現象と物自体」の対立とほぼ同義だけれど、そこの対立よりなお「直観と概念」の対立の方こそ重要だったと思う。「認識できるものとできないもの」の対立は、「真偽以後のものと真偽以前のもの」って形で反復されている。そう考えるとカント・ショーペンハウアーニーチェはシームレスに繋がってるんだな。最終的にニーチェによって、文字通りの全てが「認識できかつ認識できない、真偽以前のものでありかつ以後のものである」って感じで対立を廃棄・包摂して完成した感じだ。

 力点の違いを言うならショーペンハウアーは直観=真偽「以前」のものを正に「直観する」ことによって真理に迫ろうとしてたのに対し、ニーチェは真偽「以後」の、真と偽が共に廃棄されたところを見ようとしてたように思う。真偽以前も以後も同じといえば同じだけれど。しかしショーペンハウアーは「抽象的真理は所詮当てにならない」くらいの風味なのに対し、ニーチェは「抽象的真理は常に絶対的に真理であり、かつ真理ではない」くらいの風味で真理の存在を擁護していたように思われる。またニーチェにおいても、直観的真理の優位は身体的真理の重視として継承されているように思える。