陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

 労働は今日もお休み。親もまだ旅行。明日帰ってくる。

 せっかく一人なのでずーっとリビングで作業している。日がなパソコンの前で本を読み、要約し、Youtubeを見て、音楽を聞いて。。一生これで過せたらいいのになあ。

 

 何のこととは言わんが、知らないうちに人を傷つけていたら嫌だな、と思った。

 

 哲学と人生論は切っても切り離せないものではあるのだけれど、あんまり初っ端から人生人生言いまくるのは良くないと思う。話が矮小になるから。人生を言うならまず一旦私は本当に人間なのか?っていう懐疑から始めた方がいいと思うし。

 それにしても人生が何なのかは全く謎ですね。まあ何なのも何も現にある通りですがな、と言われりゃそうなんですが。それで済めばいいんですけどね。

 特に古代の哲学者には、魂が肉体に閉じ込められているってイメージが割とあったと思うんですが、それですね。哲学が始まる元になる感覚は。「外」が知りたい、「外」の空気を吸いたい、っていうような。どこへ行ってもそれは肉体の中ですからね。

 別人になりたいって話じゃなくて、こう、「目で物を見る」とか「手で物に触れる」とかじゃなくて、もっと直接的に見たり、触れたりできないもんかね。。っていう。何かを通して現実に触れているって感覚があるから、どうしても偽物感というか、根源的リアリティみたいなものが無いんですね。このリアリティに迫っていこうとしたのが多分禅仏教とかその辺だと思うんですけど。ショーペンハウアーの「意志の否定」とかにもその辺の感覚はあるんじゃないですかね。意志の否定は身体の否定って言ってるし。意志を抜け出して直観、観照へ、っていうテーマに通じるものがあったりして。ただの思い付きですけど、どうなんですかね。

 

 まあいい。散歩に行こうかなあどうしようかなあと思っている内に日付がもう変わりそう。やめとくか? 深夜徘徊は楽しいけどねえ。。