陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

ゆっくりした。

 屋根裏部屋を見た。小学校時代のプリント類とかが出てきた。無駄にでかい箱に入れられていてすかすかだったりしたので、取り出して箱は捨てることにした。少しスペースができた。私の物以外は勝手に捨てるわけにはいかないので保留。とりあえず屋根裏に登るための梯子周辺は少し片付いた。奥の方は見れていない。

 でかいダンボールを切って紐でまとめておく。紙ごみの日は昨日だったらしい。次は3週間後。あらら。

 

 洗濯をした。一日が捗る。

 

 洗い物もした。えらい。

 

 少し前に書いた読書記録を多少直したりした。あんまり見直さずに投稿したけど、うーん。なかなかカオスだな。悪い部分をちょっと削った。とりあえずマシにはなったか。備忘録だし、間違いなく誰も読んでないだろうからいいや。また少し時間をおいて、自分で読んで意味が分かるかどうか、だな。

 

 はてなブログが出してくるお題で何か書いてみるやつも、いつかやってみたいなあとは思う。いつか。

 

 どうでもいいことだが。頭の中に機械か何か埋め込んで、その日に得た五感の情報とか、感情の動きとかを記録して、一日の最後に日記として文章出力してくれるようなシステムが将来必ずできると思う。私が死ぬまでには間に合わないと思うが。

 そういうシステムを使って物を書いたら面白いのか、つまらないのか? 多分面白いと思う。機械の分析の方が私の脳味噌よりは正確だろうし、適切な冗談も交えて良い文章にしてくれるだろうし。自分の日常を物語化してくれたら楽しかろう。

 それで私自身が書くことの楽しみを失う訳でも無いと思う。考えているのがその機械だったとしても、その機械の情報源である体験そのものが私のものであることに違いは無いからだ。つまり私の脳味噌に埋め込まれた機械が書くということは、私が書くことに等しい。というか私の脳味噌が正にその機械であって、今はまだちょっと性能が良くないだけなのだ、と考えられる。

 この文章も別に、私が考えて書いている訳じゃないし。なんかこういうのを出力しろと推奨されているからしているだけで。