陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

そこそこに仕事を済ませた。

 また三連休だ。そしてまた、ちょっと旅行に行ってくる。のだが、、宿泊先があの、去年の5月から従業員全員にマスクをさせない方針の、ちょっとあれな場所なのだ。正直行きたくない。が、まあ行く。しょうがない。別にその企業を批難はしない。嫌なら行かなければいいだけだ。私の意志薄弱と段取り不足が悪い。……最低限部屋の消毒くらいはしてくれているんだろうか? なんかもうホームページからもツイッターからも、感染症対策に関する最近の情報が全く窺えないんだが。2020年に「万全の対策を講じています!!」って言ってるのが残ってるだけだ。最低限の良心は残っていることを期待したいが、果たして。

 4時過ぎに出発予定だ。そもそも羽田から飛行機がちゃんと飛んでいるのかどうか怪しい。欠航になったとしても一向に構わない。。ま、まあ、大丈夫だ。罹ると決まったわけじゃないし、罹ったとしても後遺症が残ると決まったわけじゃない。決まったわけじゃないが、蓋然性は高い。色々と、その、気にしない人たちが集まってるはずだからな。あーあ。飛行機すら正直乗りたくないってのに。という訳で早く寝ないとだ。まだ暗い内から出かけるというのは、ちょっと楽しいな。

 

 年末洗わなかったズボンをようやく洗い、干している。エアコンの暖房を効かせてめっちゃ乾燥させた部屋なので、もう数時間あれば乾くだろう。あんまり部屋に湿気たものを持ち込みたくないんだが。

 

 能登で起きた地震の発生メカニズムは大体見当がついているが、それでもこれを予測するのは大変難しかった、専門家も驚いている、とテレビで言っていた。地震の高精度予測っていつになったらできるようになるんだろう。もちろん予めすべての因子を正確に測定して計算することはできないから、完全な予測というのは不可能なのだけど、それでもねえ。そろそろ何とかならんのでしょうか。いつかはできると思うんだが。私が死ぬまでには無理なんじゃないかな。なんかそんなんばっかりだよな。AIにしても量子コンピュータにしても。

 …………全ての因子を完全に把握できないし、できたとしても「そう思い込んでるだけ」って可能性が残る。見落としが無い状態と、見落としが見つかっていないだけの状態というのは決して区別がつかないのだ。だから予測が外れる可能性は必ず残る。それで言うなら計算式が間違っているかもしれないし、法則性そのものが突如として変化するかもしれない。だから因果関係による説明っていうのは認識論的にも存在論的にも限界があり、せいぜい事が起きた後に状況を分析して説明する気休めにしかならず、既に被災した人たちからすれば今更原因究明とメカニズムの説明なんかされても何の意味もない、と、色々言えるんだが、、、まあそんな哲学的限界の話は最大限精度を上げるための研究を極めてからであって、そこは無邪気に科学の力を信じるしかないところだ。早くなんとかしてくれ。