陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

サン=テグジュペリ『人間の土地』

 今日も大した作業をしなかった。来週以降ツケが回ってくるかもしれんが知るか。

 19時前から20時過ぎまで90分ほど夜寝した。

 

 仕事中に、サンテグジュペリ『人間の土地』の最後の方だけ久し振りに読み返した。戦時におけるプロパガンダとそれに踊らされる民衆、というのが単純すぎる図式だというのがよくわかる。戦争に行きたがるメンタリティっていうのは人情として自然に醸成されるし、それはある面では尊いことであることは間違いない。だからこそプロパガンダもそれとして意味を持つのだ。ウクライナ侵攻が始まったときに戦うな、逃げろ、降伏しろと主張しまくっていた日本の知識人?文化人?が結構いたけど彼らの言葉が如何に薄っぺらいか。

きみの心に、この出発を促す種を蒔いたかもしれない政治家たちの大言壮語が、はたして真摯であったか否か、また正当であったか否か、ぼくは知ろうとも思わない。種が芽を出すように、それらの言葉がきみの中に根を張ったとしたら、それは、それらの言葉が、きみの必要と一致したからだ。それを判断するのはきみ一人だ。麦を見わける術を知っているのは、土地なのだから。

戦争を拒まない一人に、戦争の災害を思い知らせたかったら、彼を野蛮人扱いしてはいけない。彼を批判するに先立って、まず彼を理解しようと試みるべきだ。

 

 それにしても意識高い小説だなあ。人間である以上、人間として可能である最大限の精神を発揮して生きるべきだ、というかある状況下においては自然とそういう精神が垣間見られるもんだ、というこのなんというか、熱さではない、そこまで説教臭くもない、ひたすら憧れを煽るようなこの感じ、うまく言えないがとにかく味がある。

 問題はこんな精神性を発揮する機会は私には無い、ってことなんだが。紹介されてる「普通人」の事例ですら「マドリード戦線」での出来事だ。在宅勤務でさぼりまくり、かつ他人にいちいちビビり散らしながらシステム開発してるだけの俺に何をしろと。現実生活のあまりのしょぼさに目が死んでしまう。と同時に多少気楽にもなる。何にせよ全然大したことはしてないし、起きてないのだ。

 まあそれはいいや。然るべき時に然るべき事ができるってことが大事だ。然るべき時が来ないならそれまで、来てるけど見落としてるだけなら、それもそれでその程度ってことでいいだろう。こじんまりとやるよ。何にしても漠然とした「精神」なんか語ってもしょうがないしな。

 一応言うなら私はこれでも精神性というのは大事に思ってるし向上したいとも思っている。精神的に良くなろうとしないならいつ死んでも同じ、生きてても死んでても同じだ。私にはまだ先があるはずだ。しかし良さの方向が分からん。これは平凡な悩みだが、贅沢な悩みだとは全く思わない。

 少なくとも労働者として完成したいとは思わん、ということは確かだ。真面目に労働してりゃそれが善だ、精神だ、ってそんなわきゃないだろう。もっとも現代社会における労働について葛藤したり嫌悪したりしながら、なおかつそこに喜びも見出せるのならそれはそれで尊いことではある。どうなんだろうな。

 

 普通に日記を書こうと思ってたのに読書感想で字数が埋まった。