陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

ブルクハルト『ギリシア文化史』1

 ブルクハルト『ギリシア文化史』(ちくま学芸文庫、全8巻)の第1巻を読みました。

 古代ギリシアの歴史を通してその文化、精神性について詳細に語った古典的名著です。……正直私は古代ギリシアの歴史には詳しくないし、全然知らないマイナーな固有名詞(人名・地名)が出てきまくるので結構斜め読みですが。まあもちろん概略的なところも多く、読んでて苦痛ではなかったです。とはいえ理解が浅いので感想も書きづらいんですが。ほとんど備忘録的な感じで書いておきます。括弧内はページ番号。印象に残ったところを引用。。

 

神話的態度・感覚について

「何らかの人の目を惹く自然現象に対しては、人々は間違いなくある神話的根拠を挙げることができた。たとえば、どこかある水が悪臭を放っていたとすると、かつてあるケンタウロスがそこで傷口を洗ったに違いなかった。」(89)

「とりわけ、なんであれ深い孤独はギリシア人の心のうちに、神的存在が身近にいますという感情を呼び起こしたように思われる。世の中の騒音がやむやいなや、神的なもの、もしくは神霊的なものが発する音を耳にすることができた。森や峡谷の中にいるとき、人々はパンやアルテミスが身近にいるのだという気持から逃れることはなかったであろう。巨大な洞窟の中からは、ディオニュソスの従者や神々の母儀が身近にいることを告げるシンバルの響きが聞こえると人々は信じた。」(105)

 

絶対的権力としてのポリスの在り方について

「ポリスの内部においては、個人が完全にポリスの一部に同化していないとき、たちまちポリスはその個人にとってこの上なく恐ろしいものとなる。ポリスがやたらに使用する強制手段は、死刑、市民権剥奪、そして追放である。・・・ポリスは個人がまったくそこから逃れることのできない存在である。というのも、そこを逃れようとすれば、同時にその人は一切の安全を断念することにもなるからである。だがこのような国家の絶大な力はあらゆる面において個人の自由の欠如と共に手を相携えてゆくことになる。祭祀、祝祭暦、神話――これらのものはすべて土着のものである。したがって国家は同時にまた、瀆神の告訴を起こす権利を授けられている教会でもある。このような合併された権力には個人はまったく抗しえない。」(176)

「なによりも人はいったん戦争が起こったときには都市のために生命をなげうつ義務があり、しかもなお人はおのが生命をなげうつことによって、「養育費」を都市に返済しているにすぎないのである。」(171)

ギリシア人は、たとえ城壁の外へ追い出され、もしくは外地へ移住しても、あくまで一つのポリスであり続けたということ、それどころか、片々たる部分やばらばらの党派でさえもなお、どの植民地も実はそれが可能であったのだが、生命を持った一つのまとまった政治体であると意識しているということである。人間はここではいついかなるときでもその人のいる場所やその人の財産以上のものと見なされている。ポリスはこのような人から成り立っているのであって、建造物から成り立っているのではない。」(563)

 

理想的な人間像・・・善人=自信に満ちて若く美しく鍛えられた金持ち

「貴族政治の時期がこの国民に遺した大きな遺産は、「カロカガティア」Kalokagathiaであった。これは、道徳的確信、美的確信、そして物質的確信がまったく分離しがたく融合して一つの概念になったものであって、われわれにはこれを近代語に正確に翻訳することはできず、ただ他の言葉で言い換えることしかできないのである。」(354)

 

 まあとにかく、第1巻の内容はギリシアの政治体制についてでした。原初の、いろんな民族が入り乱れて常に流動してるような状態(そのせいで同じ場所に複数の地名がついてるのがざらなんだとか(42))の話から、神話的感覚・態度の話、そして集住、ポリスができて、王政やら貴族制やら、僭主制を挟んで有名な民主政の話、スパルタ、アテナイ、その他、、とか、そんな感じです。

 著者は強調してますが、文化史においては出来事や人物が重要なんじゃなく、それらの裏にある精神が大事なんだと。ギリシア人は「普遍」尊重で、ある大きな原理原則、大きな流れ、大きな全体に没入することを好む精神性だった、これは後に出てくるキリスト教的な「個」を尊重する精神、ただ一人のこの私の信仰において神の前に立つって態度とは対照的なんだぜ、というのは哲学の本で読んだことはあるんですが、なるほどポリスの概念とか見るとたしかにそんな感じの雰囲気を感じますね。

 

 秩序があり、程度があり、優れたものと劣ったものがいて、優れたもの同士の競い合いがあって、それを実現するために劣ったものが労働する、と、、古代ギリシア人は労働とか、労働の義務とかが大嫌いだったのは有名な話ですね。まあ自由民でも貧乏な人は農耕とかしてたみたいですが、しかしほとんどの需要は奴隷労働で満たされていたそうな’(318)。普通の自由民は政治活動か、競技とか芸術をやっていました。あと広場で会話・演説とか。優雅ですねえ。

 

 当たり前と言えば当たり前なんですが、奴隷制は過酷でした。現代的な人権の概念なんか無いですからね。奴隷はただの物件でした。道具としては一応大事に扱われてた場合もあるようですが。「友人のほうは困って、おちぶれても冷淡に放っておくが、病気の奴隷は医者に診させ、注意深く看病してやる。それが死ぬと、人々は嘆き、損害を受けたと思う。」(321)

 プラトンアリストテレスも奴隷にはめちゃ厳しく、「奴隷は生まれつき劣った素質を有する」とか「奴隷の魂には健全なものは何もない」とか言ってます(334)し、クセノポン曰く「奴隷たちの淫逸は飢餓によって、盗みは鍵のかかる所をすべて施錠することによって、逃亡は鎖をかけることによって、怠惰は殴打することによって抑える」のが標準的な扱い(339)。そしてあらゆる懲罰、虐待、拷問が許されていました。

 

 かと言って市民として生きるのもそれはそれで大変だったようです。ポリスで生きるってことはポリスに全てを捧げることだったそうで。兵役はもちろん義務だったし、金持ちは「公共奉仕」とか言って、ポリスが望むときには必ず支払いをしなきゃいけなかったし(479)、してないと迫害されていたと。

 そして密告が横行していたらしい。そんな大した罪じゃなくてもかなりお気軽に死刑判決も出ていた(ドラコンの立法では、野菜を盗んだら死刑(514))上、裁判の仕組みもそんなに洗練されてなかったようです。

「ここではいかなる犯罪であれ、それの及ぼす他の関わりは問題とせず、ただ国家に対する脅威、国家の安全性を低下させるものと見なされた。それゆえいかなる訴訟にも政治的なものへ急変する傾向があった。また刑罰も、ポリスはギリシア人の本来の宗教である、ないしはあるべきだという理由から、最も神聖なものを毀損したがゆえの報復であるという外観を完全に呈していた。このことから刑罰の異常な厳しさも説明される、ことに罰金刑と市民権剥奪と並んでこの刑法において最も主要な役割を演じていた死刑が、全然たいしたこともない犯罪に対してさえ適用されていたことからも、このことが言えるのである。・・・刑罰を発するのが公正な裁判官ではないということは、往々にしてその刑罰が嫡出であれ庶出であれ、子供たちにまで及んだという点に現れている・・・」(511-512)

ちょっとなんかしたらすぐ謀叛の疑い、瀆神の疑いで、誰でも犯罪者になり得ました。そしてそれを利用した脅迫からの、示談に持ち込み金品収奪というのが横行していたらしいです。殺伐としてますね。ポリスが全ての基準であり命だったからこそ、ポリスに反することは厳しく罰せられ、だからこそその罰をうまく利用して儲けようとする人が現れたと。

 で、結局内部分裂したり、戦争に負けてやべえよやべえよってなって、やたら何度も開かれる会議(民会)、そのたびに破棄される法律、というわけで秩序が崩壊(551)、金持ちから金を奪え!とかそんなことに金を使うなんてけしからん!とかいちゃもんをつけてみたり(553)、まともな人がみんな国を捨てて出て行ってしまったり(557)なんだりで(この辺現代日本でも割とありがちな気がしますね)、色々大変だったようです。

「諸ポリスの、一部は国内における消耗の過程、一部は相互の貪り合いの過程は、ポリスの本質上どうしても起こらずにはいない論理的過程なのである。無制約な生命衝動はその必然の結果として内的・外的死因となったのであった。その主要な病弊は、民主制が強い、反俗業者的志向と交差していたということ、もろもろの権利の平等が労働に対する嫌悪と一致しており、そのためにのらくら者が投票権と司法制度という手段を有産者に対する不断の威嚇に向けたということにあった。多数を不可避的に多数と少数に分裂させずにおかないのが、ある事柄における多数というものの気違いじみた濫用なのである。」(559)

民主主義の下でみんなが強欲になったのが悪かった、みたいな話。まあこの結論は、、民主制が俗業志向だったら何も問題なかったのか?っていう疑問があるのでちょっと賛同しかねますけどね。。

 

 まあけっこう読むの大変で適宜ググったり、あと読み飛ばしちゃったりしたんでちょっと勿体ない感じなんですが、これあと7巻あるんですよね。。完読はいつになることやら。やっぱりもうちょっと易しい本から入った方がいいのか? うーん。最後に哲学のことを書いておこう。

 

 なんでギリシアで哲学が栄えたかって言ったら、奴隷制が強くて自由民が割と暇だったからってのも大きいとは思うんですが、更にその、ガチガチの全体主義からの精神的自由を求めて興ったっていうのも大きかったんじゃないか?と思いました。自由民と言いつつそんなに自由ではなかったみたいですし。少なくともソクラテス以前の哲学者は世界の全体を水だとか火だとか言ってた訳ですが、それは既にポリスやらなんやらの政治を超えた世界に向かう自由の問題だったんじゃないかなあ。

 しかしプラトン以降結局ギリシアの哲学というのは普遍主義に寄っていくのであって、これは結局世俗に帰ってきたということか、むしろ窮屈な全体主義をどうにか肯定する理屈を探した結果ああなったのか。分かりませんがこの後の諸巻で語られたりするのかな?