陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

鴨長明『方丈記』

 『方丈記』(小学館の古典文学全集所収)の感想。

 家を持ったり妻子を持ったりしても、大火事とか地震とか遷都とか飢饉とかで碌なことにはなんねえぞ、その点俺は出家して、粗末な小屋を建てて一人で静かに音楽とか和歌とかやりながら生きてて穏やかだ、歩き回ったり登山したりするの楽しいわ、貧乏暮らしでみっともなく思えるかもしれんが、この良さは実際やってみないと分かるもんじゃないぜ、……俺もいい歳でもうすぐ死ぬし、まあ十分満足してるからそれはそれで別にいいんだけど、でも精神的に何かしらの完成に至ったのかというと、うーん、これって仏道修行的には全然できてないよなあ、これでいいのかなあ、と思っても答えはでないから、もう念仏を唱える他ないぜ、南無阿弥陀仏。……みたいなことが書いてある。

 

 気に入ったとこ。

朝に死に夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

だから自分のことを大事にすべきだ。

琵琶を弾いて、

芸はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから情をやしなふばかりなり。

自己満足いいぞ。

糧乏しければ、おろそかなる哺をあまくす。

(食糧が乏しいので、つまらないものでも美味しく感じる。)

 

小屋の中に寝床、仏壇、本が数冊、楽器。和歌の本と管絃の本と仏教の本を持ってたらしい。

西南に竹の吊棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。

当時の吊り棚っていうのがどういうものだったのか分からんけど、とにかく籠が三つにいくらかの書物を入れる。……3箱って結構多くね? 実際どんな大きさで何冊持ってたのかよくわからんが、この描写がなぜか好き。

 

おのづから都に出でて身の乞匈となれる事を恥づといへども、帰りてここにをる時は他の俗塵に馳する事をあはれむ。

我が家が一番。

 乞匈はこつがい、、本当は凶じゃなくて、人とLがくっついたような中身なんだがどう検索しても出てこなかった。

 「乞匈となれる事」っていうのが「乞食みたいなみすぼらしい生活をしている」ことなのか、実際に托鉢行を行っていたことなのかはよくわからない。

 都で立派な暮らしをしてる他人を見れば貧乏暮らしも恥ずかしいけど、家に帰ってくれば、あくせく働いてたり、俗っぽいことを考えてばかりのあいつらの方こそ気の毒に思える。

魚は水に飽かず、魚にあらざればその心を知らず。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心を知らず。閑居の気味もまた同じ。住まずして誰かさとらむ。

 

 基本的に孤独で貧乏だけど、無理がなく性に合った生活。憧れますね。四畳半くらいの小屋を自分で建てての出家生活。何の成果も無く質素な日々を楽しみながら死を待つだけの生活。落ちぶれた身が恥ずかしいと思わんでもないが、それはそれとしてどうということはない生活。

 『荘子』に通じていたらしいので、無為の概念を意識していたようなところはあるんでしょうね。無駄な作為を持たずにその日その日を生きてたんでしょう。寺で活動することもなく、説法して回るでもなく、ただ自己満足の芸術を楽しみながら静かに暮らす。

 結構人目を気にしたり、人と比べて富裕だったり貧乏だったりすることについての記述が見られます。もともと貴族ですし、教養もあって良い暮らしをしていたはずで、富裕も窮乏も経験した上で言ってることだから説得力がありますね。富裕だったころには、貧乏人を軽蔑する言葉を実際に聞いたり、自分自身もそういう感情を抱いたりすることが多分あったんでしょう。

 

 とにかく、色々あったけど今は満足している。その満足ももうすぐ消えてなくなるけどそれもまた良し、何もかも泡みたいなもんだから、執着せずにあるがままでいれば良い、、という感じで冒頭と末尾が繋がっており、それがさっぱりとしつつ情感を失わない態度として全体に浸透している感じになってます。

 人間関係(出世争い)とか貴族の交流で色々引きずりまわされてきた経緯はあるけど、今はただ自分のために自分のことをやっているし、それでいいのだ、という誇りのようなものが感じられます。晩年の態度としてはこの上ないものがあると思います。私もいつかはこんな感じの心境に着地したいと思ってますが、どうなりますかね。。