陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

反抗って難しいよね

 クソ暑い中無意味な出社。しかし考えるに、なんで私は出社してるんでしょうね? なんで反抗しないのでしょう。面倒だからですね。それもあります。会社全体の方針なので、これに反対するためにはまずプロジェクトリーダーを説得し、課長を説得し、部長を説得し、、というような連鎖が生じます。それで波風立てるくらいなら、まあ出社したら死ぬでもなし、我慢できなくもない程度なのだからこっちが折れるしかないか、、となってしまうのですね。面倒だから、恐ろしいから。しかしさらにより大きな理由があるように思います。それは「反抗したことがないので、やり方がわからない」だと思います。

 

 大きな目で見れば、うちの会社だけの問題だけでなく、政治的にも、最近増税ばっかりで、貧困は広がり、政治家は本当に日本を潰していく気満々らしく、もはや選挙等ではどうしようもないところまで来ていると思います。それで民衆は一揆を起こすべきだ、みたいな声は割とよく聞かれるのですが、よしじゃあ一揆をやろう、という声は全く聞こえません。みんなやり方を知らないのです。一揆のやり方、手続きを知らない。如何に反骨的な営みであっても、適切な方法あってこそ有効となるのです。まずそれをやる人や、周囲の人たちが、起きたことについてそれが一体何であるのか、何をやってるのかが理解できてこそ、行為というのはそれとして同定され、意味を持ちます。というと抽象的ですが、要するに「これは一揆である」と堂々と言えるためには、一揆とは何かを知っている必要があるのに、「やろう」と何となく言っている人も一揆とは何か知らないし、一揆を「される」側の政治家やら何やらも、恐らくそれがどういうものか、何をどうすることなのか知らんのだと思います。これが本当に精神的に去勢された状態なんじゃないでしょうかね。やりたいけどできないんじゃなくて、そもそもやり方を知らないのです。言葉だけ知ってる。意味は知らない。そりゃ知識としては色々調べりゃ出てくるでしょうが、身体的に根付いた知、方法知というものが一切ない。何であれ、知らないことを実践するということはできないのです。準備すらできない。

 ということで「一揆を起こすべきだ」とか「一揆が起こってもおかしくない(のになあ)」とかいうことをツイッターとかでw呟いて終わりになります。「ツイデモ」とか言ってね。ハッシュタグ付けちゃって。馬鹿じゃねーの?と思わず失笑しますが、やっている本人たちはおそらく真面目です。真面目に「一揆が起こるべきなのになあ」と思いつつ、でも自分はそのための方法を一切知らないのです。(なお「覚悟を持つ」とかなんとかの精神的な動向もまた知識の一種なのです。腹の括り方を知らない人は、腹を括れません。でもやっぱり、そこでどうするもんなのかが分からない。)

 それで、多分まともな人たちは二種類いて、自分たちで一揆を起こすのはもう無理なのを自覚してるので、それができる(ちゃんと暴力ができる)集団にやってほしい、まあつまり自衛隊にクーデターを起こしてほしいと考えるか、あるいはもう、適切な方法知とかは一切考えず、自己流でテロをやろう、って考えて実践するか、この二種類ですね。しかし前者は自衛隊に夢見すぎな気がしますし、そもそも自衛隊すら手続きを知らない可能性が高そうだしなあ、という感じ。後者はまあごく少数の人しかそれが政治的主張だということが分からず、ただの殺人、民主主義への挑戦wとして解釈され忘れ去られるだけでしょうし、どうしようもないですね。。

 

 以下昼に書いた愚痴。

 仕事が無ければ何冊本が読めたのだろう、と思います。同時に、そんなにたくさん読んだからといって何になるのだろう?とも思います。きっとみんなそんな感じだと思います。仕事が無ければあれができた、でもあれができたら何なのか?と。これは死っていうことについて考えるとそうなるんですが、得た知識なり楽しかった記憶なりを持って死ぬことになるなら、それに何か意味はあるのか?って話ですね。はい、、こういう思考自体が仕事に思考を毒された結果なんですね。自分の楽しみそのものには意味がない、死を越える何か、ぶっちゃけ他者、のために何かしてこそ一人前!っていうね。仕事って第一義的には他人のためのものですからね。(働く=傍を楽にすることとかいうクソみたいな語源捏造もありましたね。クソはクソですが、しかし実際労働=他人のため、っていうことが事実として成立しているからこそこの捏造も真実として受け入れられたはずです。)仕事なんか無い方が良いに決まっています。他人のためになっていないと自分には価値がない、と思い込む人の方が頭壊れてるのです。それだけは忘れないようにせねば。