陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

自分語りと文学と

 眠いぜ。会議中にちょっと寝ちゃった。まあ私の出る幕ではなかったからいいよね。。

 月曜休みだったから今週4日しかないんやな。うれしい。。眠い。。

 朝家を出て5分歩いた後「エアコン切ったっけ?」と思い不安になった。帰ってきて見たらちゃんと切ってた。よかった。

 

 高校時代のことをまた思い出します。朝早くて、22時まで授業があって(学校に予備校講師を呼んで授業してた)、終バスで帰ったら夜中で、でもゲームはしたかったからして、睡眠を削って、それで毎日睡眠不足でした。しかしゲームを止める選択肢はなかったのです。

 机の奥に、高校3年の時に書いた日記が今でも残っていました。ルーズリーフに数枚。さっき一通り読んでみたのですが、やっぱり睡眠が足りないこと、遅刻したこと(親に起こされた記述が数か所ある)、頭がぼんやりして上手く会話ができないこと、なので友達ができないこと、けれど友達が欲しいのか要らないのか自分でも正直分からないこと、教師が怖いこと、ゲーム依存があること、等々書いてありました。なんか、割と今でも同じことをずっと繰り返しているような。あと筋トレと、意外と読書もしていたらしい。これも今と同じ。大学生活後半以降の記憶にしか現実味を感じてないのですが、基本変わってないんですねえ。

 記憶というのは歪んでいくもんですが、こういう資料が残ってると助かりますね。もっと書いておけばよかったのに。

 

 そうだなあ。大学入ってすぐ、まず履修の仕組みにつまずいたり、講義とか、図書館で読むように言われて読んだ本がことごとくつまんなくてひたすらサークル活動に打ち込んで酒ばっか飲んでた時期もありましたが、特殊だったのはその時だけですね。あの頃は何か読んでたっけ? とりあえず夏目漱石を読んだけどつまんなかったり、太宰治は『人間失格』だけやたら気に入ってたけど他はやっぱりつまんなかったり、新書を色々買って読んでみたけどつまんなかったり、っていうのを繰り返してたような。今思うと本がつまんなかったんじゃなくて、高校生活を抜けた反動でこっちの頭がおかしくなっていたとしか考えられない。。傷は深かったんだろう。多分。

 

 まあそれはそれとして。2日前に文学について書いていて、そこで文学には進歩がほとんど無い、みたいに書いてますけどちょっと言い過ぎだったような。一応ちゃんと進歩はしますね。小説でも哲学でも、各作家や作品についての定説は一応ありますし、定説が覆ること(定説に整合性の取れていないところが見つかるとか、新資料が発見されるとかによって)も科学同様にあるので、進歩しない訳ではない。まあ宗教哲学とかの界隈はずーっと同じことばっか言ってるイメージですが。それにしたって変化がない訳じゃなくて、単に遅いのです。そんなに革新的な意見は頻繁には出てこないです。人間の深い精神性を説く、とかになると古今東西どこでも大して変わんないですしね。だからもう哲学とか宗教とかはとっくに結論が出ていて、付け足せるところがほとんどないっていうのは正しいかもしれないですね。まあそれでも、何度でも反復していいのだ、っていうのが趣旨だったんですが。

 あ、あと「〜にとってどんな意味があるか?」みたいな観点があるよ、っていうのばっかり書いてましたが、そもそも価値評価以前に「その作品には何が書いてあるのか?」っていう解釈そのものがまず自明ではなく、これが問題の中心になります、っていうのを加えるべきでしたね。ある話が悲しい話なのか楽しい話なのか、っていうことすら自明ではないですからね。