陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

やや鬱な日記

 ちょっと変わった人物として見られるのが好きな癖に、他人がちょっと変わってると露骨に嫌悪するクズ、いますよね。なんという凡庸さ。頭の中が「ちょっと変わってる私かわいいでしょ?」しかないから、その特別感を薄めるような他人を憎むのです。まあそのクソみたいな性格を自覚してない辺り確かに本物の気違いではありますが。自覚してたら直そうとするでしょそんなん。自覚して直そうとしてないならやっぱり気違いだ。ちょっと変わってる人の大半はまともで、自分の変さに悩んでるもんです。まあ悩んでないなら偽物だ、とか言うんじゃないですが、少なくとも本物は自分に悩むのであって、他人のことなど気にしないもんです。

 

 豚肉細切れと冷や飯を一緒に炒めて味塩胡椒をかけただけの簡単な焼き飯を作りました。美味しいけどだいぶフライパンに焦げついちゃって大変。でもこの焦げが美味しい。剥がして食います。剥がせなかった部分がちょっと勿体無いから、もうやらないかな。。

 そして暑い。室内33℃。汗がじょろじょろ出てくる感じ。

 

 夕方に1時間昼寝をしました。

 

 両親が旅行から帰ってきました。お菓子を買ってきてくれたのでお茶を淹れて一緒に食べます。あと旅行先の寺で入手したなんかすごいお守りを貰いました。財布に入れて肌身離さず持っておくとよい、と言われましたが、輝きがすごい(金メッキ?)ので素手で触って指紋を付けたくない。箱にしまっておきます。

 

 明日からまた仕事。いい加減、そろそろ本気でうんざりしてきている。

 

 まあ仕事もそうなんだけど、ここ数日はなんか、やっぱ悩みを完全に解決するには、死ぬしかないなあと考えています。生きてるのが嫌になってきた。疲れるし、眠いし。

 

 生きる意味に悩んでいるわけではなくてね。全体としての生きている意味なんぞどうでもいいんですが、今この瞬間に上機嫌でいるための何かは常に必要とされているのです。要するに退屈なんですね。いや退屈って訳でもないか。毎日新鮮な苦しみがあります。苦しみに楽しみが邪魔されます。しかし苦しみを取り除く方策も特にないというか、むしろ苦しみによって気力が奪われているので、苦しみに対応することもできない、みたいな感じ。服を買いに行くための服がない。

 今この瞬間の機嫌が問題なんだから、「どのようにそれを実現するか?」っていう問いが無効なのは言うまでもないですね。どのようにも何も今が問題なんだから、もう直接機嫌よくする、直接楽しむ、以外に方法はないのです。でも現にそれができてない、となると、最早自分ではどうしようもないですね。原理的にどうしようもないです。

 そういう無根拠な楽しみ方を突き詰めるとニーチェか、荘子になります。遊戯の概念ですね。しかしああいうのは、なんというか、聖なる正直さというか、率直さというか、ということについて相当に修行しないと難しいんだろうなあ。だからと言って他力に頼る方針、念仏唱えたり神を立てたりなんだりすることをやろうとしても、そういう思想を経由しようとしてる時点で駄目じゃん、できないじゃん、ってなります。宗教的実践っていうのは、それを実践することによって結果と救われるんじゃなくて、それを実践できるということ自体がその時点で救われてる証左だ、ってことにしかならないので、まあ無理な時は無理ですね。そこでもういいや、全部だめだ、死のう!となります。それで死ねれば苦労はしません。静かにしてるしかないですね。