陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

くたくたな日記と昨日の続き

 シンプルな睡眠不足。夜帰宅してからだとブログを書くのもキツいので、行き帰りの電車内あるいは仕事の合間に書きます。昼休みは寝る。

 

 昨日の夢。腕の関節が3つか4つくらいあるおっきい人(夢の中の設定だと友達のお父さん?らしかった)とイチャイチャしたり束縛されたりした。脇が上を向いていた。なんかパーティ会場みたいなとこで飯食ってた。

 

 テレワーク可能日数が制限されて二週間経ちましたが、早起きして電車に乗ることそれ自体には慣れました。慣れなきゃやってられないし、まあ昔は毎日これでしたからね。しかし睡眠不足には慣れない。

 満員電車はコロナ前よりはだいぶマシな気がします。まあ混んではいるんですが、満員というほどではない、というかこれが本来の「満員」だよなあ、程度の混み具合です。

 ……と思ってたんですが、途中でお腹痛くなって下車して、2本くらい後の電車に乗り直したら3割増しくらいの満員具合になりました。あれ?5分くらい違うだけなんだけどな。この時刻の電車からいきなり混みます、みたいな境界線があるのかな? あるいはいつもは通路で吊革に捕まってるから満員を実感できてなかっただけか? これじゃ携帯をいじれないじゃないか。

 

 車内アナウンスを復唱するタイプの気違いを初めて見た。実在するんだなあ。

 

 という訳でややぎりぎりに職場に着きました。ビルの隣の小学校で運動会をやってます。保護者が来ている。最近の運動会は土日にやらないのかね?ここだけ?と思ってたらなんか思ったより早く終わった。練習だったのか?練習を親が見に来るの?よくわからんです。

 

 出社するようになっててパフォーマンスは上がったか? いや、別に上がってないですね。サボり時間もとい休憩時間はテレワーク時と大差ないと思います。そして眠気が酷い。疲れた。特に今日もそうですが、3日出社ノルマの3日目。ぼーっとする時間とウロウロする時間が増えてます。よく中年になると記憶力が落ちると言うが、加齢だけのせいでしょうか? 労働を10年20年と続けた結果でもあるんじゃないか?と思いました。慢性的に睡眠不足なら脳味噌も傷むんじゃねえかな。

 

 飲み物代をケチって水道水をのんでるんですが、美味しいですねえ。ググったら近年東京の水道水の水質がかなり向上したそうで。確かに臭みがほぼない。すっきりした味わい。

 

 そういえば昨日、科学的な知見について、実験をしてるのもデータを用意してるのも他人だし、結局それが信頼に値するかどうかは分からないよね、みたいに書きましたが、仮にデータを用意したり実験したりしてるのが自分だったとしてもやっぱり信頼はできないですよね。何が危険って素人が自分の頭だけで考えることほど危険なものはないです。哲学ならともかく、科学では。

 それで言えば世の中には何をどうすれば真理を導き出せるのか、その方法論に精通している人がいて、まあちゃんとした専門家とか研究者とか、そういう権威がある訳ですね。権威主義は良くないけど権威に頼るのは良いことです。というかそれが事情を知るってことの第一歩だったりするので、まずはそこからですね。自分の頭で考えるのはその後でいい。しかしまあ専門家でも当然意見は割れるので何を信じるかはやっぱり自己判断になるんですが、そこの判断基準が要る訳ですね。判断しようとすると結局こっち側にも知識が必要で、知識を身に付けるには権威に頼る必要があり、しかし信頼できる権威を探そうとすると知識が必要で……?となると何から始めりゃいいか分からんのですね。だから少なくとも中学くらいまでの知識は最初から持ってないとダメだよねって話にもなります。まあ「学校では教えてくれない〜の真実」とかありますけど。そもそもそういうの信じるのは学校の勉強についていけなかった人だけじゃないかな?とは思うんですが、笑ってもいられませんね。そういう胡散臭い何かの方こそ真実かもしれず、その判断がつかないねって話ですからね。

 それと、とにかく比較検討ですね。他人の言っていることを暗記するのではなく、他人が言い合っている議論の筋をきちんと理解しようとすることで、どっちの方が正しそうかある程度判断がつくようになります、多分。そこで問題なのは、そんなことしてる暇ないってことですね。これは別に現代的問題ではないと思うんですが、みんながそんなことはできないし、そこまで世の中のことに興味ない訳です。だから、と言って出てくるのが複雑な情報を分かりやすく説明してくれる要約屋さん(これも昔からいたんだろうなあ)ですが、しかしこれがまた誤解の温床になり、嘘も溢れ、陰謀論も湧いてきますから困ったもんです。楽な道はないんでしょうね。

 で、何が信じられるか分からん人が多くなった影響で、ちょっとでも知見の正しさを主張したらカルト扱いになりがちです。(「税は財源じゃない」とかね。)それで本物のカルトが身を隠しやすくなっている始末です。

 カルトでないことを示すためにはある種の「寛容さ」を示す必要があるのですが、正しい知見を持っているのに、間違っている方に譲歩する合理性は皆無である訳でして、当然正しい人は不寛容です。知的な寛容さは決して善ではないです。精々「私のどこが間違っているか示すことができたら、考えを改めます」くらいが限界でしょう。しかし譲歩されないことで、間違っている側が正しい側をカルト扱いするということにもなってきます。そしてその争いを外から見ている人からすると、もうどっちがカルトなんだかよく分からんのです。だから、もうちょっと丁寧に議論の筋を追っていかなければ、となり、しかしそんな時間はないのだ、となり、要約屋さんが現れて、また新たなカルトが形成されます。うーん。