陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

人間関係疲れ

 UFOに襲撃されたりする夢を見た。襲撃っていうかなんというか。高速道路みたいなところを移動してたんだけど車に乗ってた訳じゃ無くて、なんか部屋ごと移動してたような。でも空は見える感じで。で連れ去られたのかなんなんだか、すごい田舎の町からスタートして、ここは何県ですか?って訊いて回ったりした。しかしなぜか帰ろうと思えば容易に帰れると確信していた。

 

 労働環境における人間って好きで集まってるわけじゃないから当然歪ですよね。好きでもない相手に愛想よくせねばならず、一緒にいること自体に耐えなければならない。見た目、立てる音、振る舞い、話し方! というと「愛想よくせねばならない」なんてルールは無い、好き勝手にすればいいんだ!って言ってくる人もいるんですが、そういう人のガサツさ、無神経さにも耐えなければならない。。お互いに好きで一緒にいるわけではないってみんなわかってるので、礼儀が必要になります。社会人としてのマナーが生じます。やる気のある振りをしないといけない圧力も。

 諸々の義務が生じる根拠として、「あなたは好きでここにいるんでしょう?(嫌なら辞めたら?)」という理屈があります。しかし、ある組織に望んで入った人も、現場の人間関係まで望んでそうなったわけではないはずです。またそもそもその組織に属すること自体が不本意である場合もあります。いわゆる就職活動ではとにかく熱意と誠意をアピールさせられるので、自動的に「望んで入った」ことになり、「文句を言うということは、あの時嘘をついていたということ」みたいな理屈が成り立ちます。しかしまあ、当たり前ですが就職だってできればやりたくなかった人が大半だと思います。

 数年前にアドラー心理学が流行ったときには「全ての悩みは人間関係である!」っていう断定も流行りましたが、人間関係ごときが悩みの全てになってしまうような状況でいいの? そしてその状況はどっから来たの?というのを考えて欲しかった。まあもちろん、悩みの生じ得ないような人間関係だけが(本来)あるべきだ、なんてのも馬鹿馬鹿しいことではあって、そんなことは不可能なんですけども。

 まあいいか。とにかく、義務らしきものは生きてれば色々と発生してきますが、そこから話を始めないことが大事なんだとは思います。「こういうことをしたら、こういう反応になった」ということの具体的連続があるとだけ考えて、抽象的な義務とか規則がどうとかいうところから話を始めないこと、ですね。