陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

思い出せねえなあ

 自分の過去を語るときには、特定方向に合わせた記憶ばっかり思い出してないか、或いは特定方向に適合するように過去を捏造してないか、注意しないといけません。知らず知らず整合性のある物語を作ってしまいがちですからね。「昔から自分はこうだった~」とか「~がきっかけで~」とか。まあ大概怪しいもんではあります。だから公平を期すなら、常に別の可能性を探っていかないといけないんですね。それで言えば過去は未確定なのですね。過去は飽くまで解釈であって、事実の集積ではないってことです。そして過去の可能性を探れば、現在の可能性もまた見えてくるはずです。自分っていうのが、自分で思ってたのと違う人間だった、ってことはあり得ます。

 よく「自分を変えられるのは自分だけだ」とか「気持ちを変えれば全てが変わる!」みたいな話があり、それらはまあ確かにその通りなんですが、なぜか「自分というものは自由自在に変化させることができるものだ」ということが勝手に前提されていることが多く、そっちには全力で反対したいところです。ある程度自由になるけど、ある程度決定されているというのは正しく、その間にある可能性を探っていかないといけないんですね。思い込みで可能性を狭めてしまうことが往々にしてあると。

 という訳でもうちょっと違った自己イメージを探ってみたいのだが、、なんかあったかなあ。うーん。中学以降友達はいないし、もはや作り方すらわからんし会話も苦手だが、小学校までは友達いたなあ。、、、中学に入って連絡とらなくなって消滅したが。人間関係を保つのが苦手だ。中高大と全部捨ててきた。大学からはもう特定環境や団体に属するのはもう嫌で、職業・会社も言わずもがな。。いや違う、こういうのじゃない自己イメージが何かないか。ないなあ。。とても眠い。

 何かを選んだ経験とかあったかなあ。いわゆる人生の?進路ってやつを志望したことはないけど、むしろ部活動とか、読書とか、こうやって文章を書いたりすることは自発的に始めたわけだから、それはどこから?っていうのを考えて、、えー、部活動はフィーリングで決めたでしょ?それで言うなら進学先も就職先もフィーリングだけど。じゃあ全部一緒じゃないか。進路どころか趣味も別に選んだわけじゃない。んー、読書は?止むにやまれず始めただけ。文章を書くのは? これはバイオハザードのかゆうま日記とかの真似をしたかったっていうのもあるし、なんかとにかく書くと頭良くなるらしーよ、みたいな話を聞いたのもきっかけの一つだったような。うーーーんしかしそれも自己イメージの手掛かりにはならないような。可能性、ないのか。。またそのうち考えよう。