陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

志望がない

 妙に頭痛がすると思ったが、違うな。これ親知らずが痛んでるわ。

 

 「志望」ってのをしたことないんだよな。小学校中学校は地元だし、高校は家族と塾講師が流れで決めた。特に行きたいところはなかった。大学も受けられそうなところを適当に受けたら受かったから入っただけだし、学部もあてずっぽうだし、まあだから入ってから苦労(?)したんだが。そして就職先は、業界は特にやりたいことなかったから親と同じでいっかとなり、会社は入りたいところがなくて、学校に説明しに来てた企業を適当に受けたら採用されたから入った。

 万事これ。選んでない。ガラガラポンの出たとこ勝負や。だって行きたいところがないんだもの。で、入った後悩む。この繰り返し。そうそう、ぶっちゃけどこのどういう環境に属したとしても、なんやかんやそれなりにはやっていけるだろう、って自信だけは昔からある。そして実際、現実に、それでどうにかなってしまったという経緯がある。私は環境に大分恵まれているし、私自身もあらゆる面で能力がなさすぎるどうしようもないような人間ではない、ということは確かだ。だからそんなに考えない。理想像もないし未来の想像もしない。だから何か未来像を思い浮かべているのにそれが想像通りに行かなさそうで悩む、ってことは全くない。ただ現にこうなっていることについて悩むことは大いにある。どこに行っても大丈夫だが、どこに行っても不満だ。

 ドラえもんのび太のパパが言ってたような「ちょうど水が低いとこ低いとこと流れていくように~」みたいなのを実際やってきた。こんな台詞よく覚えてたな。……どの話だっけと思って「のび太のパパ 説教」でググったら出た。くろうみその話だったか。2ページほどやる!w この説教けっこうリアルなんだよな。理屈と感情のバランスが、、教師にしても親にしてもそうですが、説教してる人ってどこか性欲の匂いがしますよね。のび太は一時的に感動してましたが、私は説教で感動したことは、、ないなあ。いつも汚されたような気分になるというか、全然興味ない人のオナニーを見せつけられた感じというか。

 いや、まあいいや。しかし基本的に社会って「志望」のない人間が存在しない想定になってない? 学校を選ぶとか仕事を選ぶとか。選ばない権利はないんだよね。まあ「選んでない」っていってもその都度その都度、自分なりの選択をしてきたはずだ、と言えば確かにそうなんだが、「した」ということと「させられた」ということと「そうなってしまった」ということの区別が私の場合極めて曖昧だ。客観的事実として曖昧というよりは、体感として曖昧だ。そもそも自分の動機にあまり興味がない。大体なんでそんな大層な「選択」とやらをさせたがるんだろう?と昔から思う。まあ民主主義だからなんだろうが。

 そうだそうだ、感覚が蘇ってきた。小学生の頃から将来について考えるのは苦手だったし、違和感があった。それに付随して「責任」って概念もうまく理解できなかった記憶がある。「責任」については、反発を覚えたというよりは本当にまったく理解ができなかったのだ。イメージが湧かなかった。今でこそ概念上は理解しているけど、身に染みてそれが分かった経験はない。

 えー何を悩んでたんだっけ。そう、結局それで現状また不満塗れなんだがどうしようかって話だった。どうするもこうするも今だに志望などというものは無いので、なるようにしかならんのだが。そうか、それで「自分の人生の責任」とやらを取ることになったらようやく私もまともな大人になれるのかな? 気色悪いなあ。そういう文脈で出てくる責任って、とどのつまり脅迫でしょ? 小鼻膨らまして「自業自得だー」とか言って絶頂してる訳だ。おお臭い臭い。