陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

真綿で首を絞めるブログが楽しい話

 今週は木曜だけ出社すればよさそうで、少しほんわかした気分になっています。とはいえ仕事中の気分は最近特に悪くなったような気がします。関わりたくない、話したくない。誰からも指摘はされないですが、話し方があまりにも暗く病的になってきている自覚はあるので、今日はやや元気っぽく話すよう努めました。上手くいったかどうかは知らん。しかしあんまり暗く振舞って周囲を苛つかせても不利になるわけですからね。これは防御なのです。とりあえず「普通に喋れる」ってのは信頼されるための第一条件ですしね。ああめんどくさい、疲れる。

 というかなんか頭回ってないような。いや気のせいレベルではありますが、どうもぎりぎりまで追い詰められている感があります。真綿で首を絞められるような、、いや、真綿で首を絞められたことないからどんな感じなのか分かんないんですが。っていうか真綿って何? ググった。えっ真綿って絹のことなの?コットンだと思ってたわ。ふーん。それで首を絞められるとどうなの?って話なんですが、なんか絹=柔らかいってイメージから、「遠回しに、じわじわと苦しめる例え」として用いられる、みたいな説明が見つかりました。うーん微妙だ。じゃあ「真綿で首を絞める」の反対は「角材でぶん殴る」でしょうか。それなら想像はつきますね。この表現は江戸時代から使われてるらしいです。

 

 いや、そんなことはどうでもいい。どうでもよくないことは? えー、

 ブログを始めてもうすぐ2か月です。まだ2か月か、そうか。毎日更新はしてるからもう60回くらい投稿してるんですね。まだ60回か、そうか。 

 その日書けることを何でもいいから書くスタイルで気楽にやってきてますが、「書き捨てる」ということがいかに重要か分かってきたような気がします。

 私は大学で卒論書いたのが楽しかったので、いつかまた、論文じゃなくてもいいから何か大きいものを書いてみたいなあとずっと思ってたんですが、何回やっても上手くいかず悩んでたんですね。まあ根源のところを言えば労働が邪魔で時間も気力もないよってこととか、素人が指導教官なしで何か書こうとするのは結構難しいよとか、そういうことになるんですが、それ以上に、自分が書いたものを自分で読み直して粗を探すフェーズが嫌で、新しく何か書いては取りやめ、というのを繰り返してたんですよね。何かちゃんと人に見せられるものを書こうと思ってたので。

 でも別にそんなに気にしなくてよかったな、と。その日書けることを書いてるだけで結構楽しいし、書いたものを読み返す必要なんぞそもそもなかったんだということが分かってきました。「良いものを書くために読み返す必要がある」ということではなく、「読み返したくなるようなものが書けたということは、それは良いものを書いたということだ」というのが正しかったということなんでしょう。自己満足でええんや。そういや卒論書いてる時にも、書いてる途中で全体を見返したりとかあんまりしてなかったわ。でも完結したのを読んだら結構しっかり書けてたなあ。そんなもんなんでしょうね。

 まあとにかく、一日一度何か書く機会が必ずあるというのは良いものです。今日書けなかったことは明日書けばいいし、書くことがない日はその日の出来事を最初から書いてくだけでいいし、なんか間違いがあったらいつか訂正すればいいだけだし。気楽でいいですね。

 ということでブログとは別に書いてる方の文章も、もう断片形式でいいやと思ってひたすら書き捨てているところです。別に公開とかしなくていいや。このブログも、相変わらずアクセス数は一日一桁ですがこれでいいです。誰も見なくてもいいレベル、、いや嘘です、いいねがつくとやっぱり嬉しい。