陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

とにかく働け

 「好きな仕事をして生きていきたい」んじゃなくて、「好きな活動をして生きていきたい」なんだよなあ。大抵、人が「やりたいことを探せ」って言う時には、それは「仕事として、働いて食っていくためにやりたいことを探せ」って意味らしい。うちの親もそういうニュアンスで言葉を使う。糞だ。「活動」が全て「仕事」に置換されてしまう気味の悪さ。「仕事にならない活動に価値はない」あるいは「食っていける活動が第一、その他は二の次、余技」みたいな。何時代だよ。

 そういや今日、生活保護費削減に反対するデモのニュースに「デモやる元気があるなら働け」みたいなコメントがついてるのを見ました。いやいや世の中にはデモをやる元気すらない人がいて、そういう人の権利のためにまだ元気のある人がデモをやるってのは何もおかしなことではないですね。声を上げないと賛成と見做されかねないですし。「デモをやる→デモをやるくらいなら働け」、「デモをやるくらいなら働く→反対の声はないので生活保護削減します」、というんじゃ無敵じゃないですか。重要なのは反対意見があること、反対する根拠があること、これだけです。

 なんかねえ、「とにかく働け」からしか話が始まらない感じが本当に嫌ですね。その前提を外してしまうとどこまでも話が通じないんですよ。指が千切れても働き続けた配達員のニュースとかもありましたね。常軌を逸しています。「権利を主張する前に義務を果たせ」とか言う人もいますが、義務じゃないですし仮に義務だったとしても何で?って話な訳ですよ。働けない人もいるし、働きたくない人もいるし。働きたくない人の存在が許されるくらい今の社会は豊かでしょう? 戦争なりなんなり起きてどうしようもなくなれば、働きたくないとか言ってる場合じゃないってのもわかるんですが。働きたければ働く、働かなくても生存権は保障、単純な話のはずです。っていうか賃労働じゃなくても色んな活動してるし。むしろやりたくてやってることの方が「仕事」なんですよ。

 その働いてない奴の生活費は誰が払うんだ!って、国が払うんですよ。別に我々は何も取られてません。税金は財源じゃないし。しかし誰かが働かないといけない!だからって誰もが働かないといけない訳ではないです。むしろ全員で働くのを理想とした場合、全員で何やるんですか?っていう。あーくだらね。ベーシックインカムはよ。無理か、こんな情勢じゃ。