陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

昨日の夜焼く予定だった鶏肉を昼に焼いた。

 上手く焼けた。今日は皮を10分くらい焼いた後ひっくり返して蓋をして15分くらい焼いた。これだけ焼いても全然焼き過ぎではなかった。身はきちんと白くなっていたし、とてもジューシーで良い感じだ。鶏の脂にパンを浸して食った。満足。

 

 プロジェクトの反省会があった。

 発言を強制されないのは良いな。多分、強制しない方が発言しやすくなる。強制されると、強制されたタイミング以外で喋らなくなるからな。

 

 都知事選はいつも通りらしい。

 なんかね、本来は「支持している人に投票する」っていう話なのに、「どれもクソだけど一番ましなのに投票する」ってなってるのが終わってると思うわ。一番ましなのに投票することを信任とは言わん。誰も信任できないんだから投票しないのが正解なのに、そうすると「責任放棄」と言われる。そして渋々投票すると「信任した」ことになってしまう。

 そういう状態は「民主主義が機能していない」と表現されがちだが、実際のところむしろ民主主義がしっかり機能するとそうなる。民主的になったら、人気取りになるに決まってんじゃん? 「有能だから重要な立場に就く」ではなく、「人気があるから重要な立場に就く」というのが民主主義だ。無能でも犯罪者でも人気があれば政治ができる。そんで有能な人間は選挙なんぞに出てる暇はなく、何か別のことをやっている。権力の欲しい金持ちのカスだけが立候補する。

 有能なものは少数、無能は圧倒的大多数というのが世の真理だ。これは別に、全人格的な話じゃない。特定の分野の話だ。ある分野に明るい人でも、別の分野には全く詳しくないということがあるだろう。だからある分野の中で見れば、それと関係のない大多数の人は全くの無能なのだ。それはITでも介護でも漁師でも土方でも何でも同じことだ。ということで、政治についても大多数が無能だ。その無能に投票権を与えて政治に関わらせるのが民主主義だ。民主主義が理想的な政治形態となるのは、国民全員が政治の専門家である場合だけだ。あり得ないのだ。もちろん一口に政治と言ってもその中では実に多様な分野が扱われる訳だが、それらの分野についてもやはり大多数は無能であり、議論に参加する資格がない。