陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

なぜ人を殺してはいけないのか?

 使い古された問い、倫理学の練習問題のようなもの。時に心理テスト・性格診断・中二病度合いの測定手段としても使われる。

 

 大前提として、そもそも人を殺してはいけない訳ではない。戦争になれば人を殺すのが当たり前だし、重罪人を死刑にすることにも正当性が認められている。

 なので「なぜ人を殺してはいけないか」という問いは、即座に「なぜ私は人を殺さないのか」という問いに切り替わる。

 これに対する単純な答えは、「殺した場合の不利益が大き過ぎる」ということだ。人を殺せば逮捕されたり、死刑になったり、逃亡生活を余儀なくされたりするのを常識として知っているので、殺したくても殺せない。

 この答えは覆しようがないが、浅い。「人間同士の決まりごとによって、殺してはいけないことになっている」というのなら、その決まりごとの根拠が問われねばならない。なので問いは更に、「なぜ人を殺してはいけないということになっているのか」というものに切り替わる。

 つまり「人を殺した場合の不利益はなぜそんなに大きく設定されているのか」という問いである。

 

 単純に、「人が死ぬ時に感じる苦痛が甚大だから、罰も大きい」と考えられる。しかし一般に人は死んだら意識も感覚も失い、無になるのだとされている。ということは、死んだ人間はもはや苦しんでいないし、怨みに思ってもいないということだ。人が殺されたとして、その殺された当人はその殺しとはもはや関係がない、と考えねばならない。当人の苦痛が問題なら、完全な昏睡状態の人間を殺すことは正当化されてしまうだろう。

 という訳で、殺された人は問題ではない。問題は常に生きている人間のものだ。人が殺されると、生きている人間が騒ぐ。問題は死んだ当人の苦痛ではなく、その周りで生きている人間が受ける苦痛にある。

 だから、死んでも誰も悲しまない人間については、殺してもよい、と考えることができる。それで問題は起きない。だから死刑は肯定され得るし、敵国の人間を殺しても、自国の人間は悲しまないので許される。

 ただし、「死んでも誰も悲しまない人間」なるものが存在し得るのかどうかは怪しい。全ての命について、その死を同等に悲しむことができる人もいるはずだからだ。だから「誰かを悲しませ得る」限り、誰も殺してはならない、とは一応言える。

 

 ともかく、人を殺してはいけないとされることの理由として、「人が死んだときに起こる混乱が大きいから」ということが挙げられる。

 人間は大切にしているものが壊されると怒り狂う。怒り狂った人間は何をしでかすか分からない。人が殺されると、その殺しを中心として混乱が広がることになるので、秩序が乱れる。それを防ぐために、誰も(仲間内で・共同体内で)人を殺してはならないということになっている。

 

 なぜ人間が殺されると人間は騒ぐのか。人間の死は埋め合わせが不可能だからである。「大切さ」とは代替や補償が不可能だということであり、その代表が人命である。

 それで怒りが収まるかどうかはともかく、盗んだものは返すことが可能であり、壊したものは修理するか新しく作ることが可能だが、人間の場合はそうはいかない。殺したものを生き返らせることはできない。

 人間の持っている一部の属性、例えば特定の職業とか、子供であることとか、男であることとか、そういうことであれば再現可能だが、一個人はそのような属性の複雑な混合物であり、完全に同じものは作り出せない。

 

 形質から記憶や人格まで全てコピーした完全なクローンを作り出すことができれば、人間の死の埋め合わせも可能となるが、現状そういう技術はない。

 そういうクローンを作れたとしても、なお埋め合わせは不可能であると考えることもできる。

 物の場合は、壊されたものと同じものを作ることが可能なのに、人間の場合そうならないのは、人間の人格が成り立つには特有の経緯が必要である、というより、経緯こそがその個人の同一性を保つものだと思われているからだ。

 つまり「ある場所に生まれ、そこからある経験を経て、特定の記憶と人格を得るに至った人間」と、「その人間の複製として実験室か何かでうまいこと造られた結果、同じ記憶と人格を得るに至った人間」とでは別の人間であると見做されねばならない。

 

 という訳で、「人の死は埋め合わせできない→人の死に伴う怒りが大きい→怒りは混乱を招く→混乱を防ぐために殺してはいけないという規範がある→殺させないために罰則が大きくなる→私は人を殺せない」となる。

 

 これは例えば「なぜ牛は殺して食ってもいいのに、人を殺してはいけないのか」という問いへの答えでもある。

 牛が殺されたところで、仲間の牛が怒り狂って徒党を組み、人間に復讐してくることはない。牛を殺しても安全なので、牛を殺してよい。

 人間が所有する牛を殺せば、人間は復讐する。しかし牛には人間ほどの個性が無いため、埋め合わせをしやすい。食べるために生かしていた牛なら、同じだけの重さで同じような肉質の牛があれば事足りる訳である。人間の場合そうはいかない。