陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

さて今日も日記を書くか。

 と思ったのだが、昼間にこれを書いておいたのを忘れていた。今日はこれを投げとけばいいや。

 

 ツイッターでは「義務教育に古文漢文は要らない」説が定期的に話題になる。義務教育というのは誰でも必ず受けるべきもので、そこで得られる知識は社会的に一生を送るための基礎になるものでないといけない。しかし古文漢文は一生は使わない。だから要らない、という話らしい。

 一生使うかどうかは人によるだろう。使う人もいるのだ。私は使っている。使うかどうかは個々人の素養と境遇次第なので、使う人もいれば使わない人もいる。そういう場合、使う人に合わせるべきだ。教われば使う人がいるのに義務教育で教えないというのは、教えなかった分の人生の質をその人たちから奪ったことになるからだ。古文漢文を誰が一生使って誰が一生使わないかは予め分からないので、全員に教えるしかないのだ。これは他の教科でも同じだ。義務教育には全てがなければならない。読み書き計算はもちろん自然科学社会科学政治経済歴史地理家庭科倫理(道徳)体育全て必要だ。誰に何が役立つかは分からないのから、全部やるべきだ。足りないなら追加すべきだ。減らしてはならない。極論を言えば読み書き計算だって教わらなくても生きてはいけるので、何かを削っていくと最終的に義務教育自体要らなくなってしまう。

 

 あと「高齢者の医療費負担を3割にすべきだ」とかいう話も定期的に話題になる。財源は限られており現状増やすことはできない。なのに老人が多過ぎて食い潰している。そのせいで若者の社会保険料負担が重い。老人が若者の足を引っ張っている。そして将来的には健康保険制度自体が破綻してしまう。だから老人の負担を上げてそれを防ごうということらしい。

 これを主張する人に対して「お前もいつか老人になるのだから自分の首を絞めるようなことはしない方が良い」と言うと、「今いる老人のせいで、今自分は生活に苦しんでいる。また自分が老人になる頃には、医療はとっくに破綻してしまっている。それを防ぐために負担を増やそうと言っているのだ!」みたいな答えが返ってくる。

 これは明白に、一番最初の「財源は限られており現状増やすことはできない」が間違いなのでその後の論理も全部間違っている議論だ。もっと政府が支出しろ、で終わりだ。全く下らない。そもそも財源論が根底にあるので、老人の負担を増やしても若者の負担は減らない。「まだ足りないのでそのままで」と言われて終わりだ。あまりに馬鹿。