陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

承認について

 現代社会における承認の在り方は大きく分けて以下の4つ。

・労働と金

・家族と愛

・真理

・権力

 他人から承認されるということは、人を幸福にし、自信をつけさせ、生きやすくする。

 所謂成功者とは、強く承認されている者のことを言う。

 つまり人間の幸福は、以下の4つのいずれかにより達成される。

・労働により他者に貢献する/技能において尊敬される/金をたくさん稼ぐ

・恋愛をする/配偶者を持つ/子供を持つ/家庭を持つ/友人を持つ/ペットを飼う・・・ことで、愛される

・勉強したり研究したりすることで知識や見解を身につける

・暴力や地位や権威によって物事を動かす

 (もちろん、最小限の労働で、結婚もせず質素な生活をする「寝そべり族」的幸福もあるにはあるが、それも根本的には真理による承認に依拠したものと思う。また、宗教的承認というのもある。自然景観や芸術作品に触れて得られる幸福もその一種。)

 そもそも生きるためには、多かれ少なかれ承認されねばならない。

 生きるためには金が必要だ。人が人に対し金を支払う時には、相手に対しその支払い分の価値を認めていることになる。つまり相手を承認していることになる。承認されることで金を得られる。これの最も素朴な形式が労働だ。(無論、労働せずとも金による承認が得られる制度=ベーシックインカムも可能なのだが、実現していない。)

 金を得る手段が自分自身に無い場合でも、誰かに養ってもらえば生きられる。それは愛によって可能になることだ。愛されていれば生きられる。これもまた承認だ。子供は承認されていればこそ生きられる。

 また、金も無く、誰からも愛されていなかったとしても、何か人の知らない知識・見解を持ってさえいれば、それは人を感心させ、放っておけなくさせることができる。それは結局、労働や愛や権力に繋がるものだ。或いは何らかの知を得ているという自覚は多少の不利な状況を撥ね退ける自己承認をもたらす。

 最後に、金も無く、愛されてもおらず、何も知らない者も、暴力や詐術、巧みな言葉、人を従わせるための何らかの力があれば、生きることができる。これもまた承認の一形態である。

 ・・・というのが承認欲求というものの内実だ。承認欲求と言えば単に個人の心の在り方についての事柄とされがちだが、それは社会的に要請された結果だ。

 で、私はどうか。これを踏まえた上で、幸福になれそうか?

 金は、そんなに無いけど貧乏ではない。でも満足感は無い。労働への帰属感が無い。貢献巻は無い。これは向いていない。

 愛は、更に駄目そうだ。相手がいない。何をどうしたら友人ができるのかさえ分からない。

 知は、また私の中では有力な手段ではあるが、以前ほどには心の支えになっていない。

 権力は論外だ。私には何の威力も無い。

 やはりできることは、これからも読書なり何なりを続けて、自分の中にささやかな体系を築き、見解の完成に努めることだろう。一番現実的。