陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

仕事辞めようとかニーチェとか

 さては今日涼しいな? 冷房を切って窓を開けた。27℃らしい。ただし湿度はやばい。

 

 遅くても来年度末で仕事を辞めたい。その頃には資産も1000万超えてるだろうし。あと1.5年は長いけどな。その頃には30歳か。30にして立つ、で丁度いいんじゃないか?

 小学校6年、中学高校で6年、大学が6年(留年した笑)、フルタイム労働が6年、、ってなればすごく綺麗なだあと思ったのもある。

 

 資料を作るのは苦手だし嫌いだ。いい加減にしてほしい。明日はついに説明しないといけない日。もう逆に緊張しない。どうでもいい。

 

 昨日に続いてニーチェの話するか。なんか「苦痛すらも自分の運命として愛する」とか、「苦痛は刺激剤」とか「苦痛と戯れる」とか「一切が遊戯であるような精神」とか「そんなに苦しいなら早く死ねば?」とか「弱者と出来損ないは滅びるべし」とか、意識高い系の社長みたいな感じのことをあいつはよく書いてるんですよね。単純にクズじゃん?と思うのです。好き勝手に物が書けて楽しいでちゅね。憎悪を感じます。

 「ニーチェ自身も病弱で大変だったんだ!」みたいな話もあるけど知るかバーカとしか言いようがない。苦痛とお戯れになってさぞ幸せだったんでしょうね。そんで「私のツァラトゥストラは、彼が善意に満ちている時ですら、君たちにとっては恐怖をもたらすものだろう!」とかなんとか言ってドヤ顔するのです。普通に恐ろしいわ。とっとと失せろ穢らわしい。と思うのです。

 大体あいつ年金暮らしで賃労働もしたことないし、飢えたこともないし、思想上の高尚なお悩みとか人間関係のお悩みとか恋のお悩みしか知らなかったじゃん?「同情することは相手に恥をかかせるからダメー!」って、アホか。それお前の悩み限定だろうが。「佝僂からこぶを取ったら、彼の精神をも取ったことになる!」……西尾幹二の馬鹿な解説「佝僂にとって、こぶはすでに宿命である。彼の人格はすでにこの災厄と一体化し、これと切り離して、もう一つ別の人格が存在するわけではない。彼は災厄と付き合い、それによって永い歳月のうちに自分自身を完成させている。災厄を取り除くことは、彼が彼ではなくなることを意味する。」(『ニーチェとの対話』129頁)……本人が治して欲しいって言ってんだから治した方がいいに決まってんじゃん?「私にそんな能力はありません(治せません)」と素直に言え、ツァラトゥストラ。なに誤魔化してんだ。ふざけるな。

 

 いや、決して私はニーチェ嫌いではない。ニーチェ哲学を嫌うこともまたニーチェ哲学の枠内だし。ニーチェを読むとつい、ニーチェについて何かしら言いたくなってしまうこの感じを出せるのが凄いと思う。単に、挑発的なものはいつの時代もウケるよねってだけではあるのだけれど。まあとにかく、苦痛論とか道徳論がキモくて受け付けない。