陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

目標管理の面談

 疲れて頭が真っ白だわ。

 目標管理の面談が完了。課長が優しくて助かった。部長はいなくてこれも助かった。課長は「正直めんどくさいけど、今はどこでもこういうのやってるらしいし仕方ないかな」くらいのノリらしい。まあ一理あるっちゃありますね。「まああんまりマジにならずに付き合ってあげればいいよ」みたいな感じ。その態度が妙にこう、手慣れているというか、熟れているというか、そういう安定感に満ちていて感心しましたね。

 「達観」みたいなものはなんか哲学的概念を駆使して文章で書くと仰々しくなりますが、ごく一般の普通の人々(SNSにいるような自己主張の激しい人々ではなく、もっと多数の、もっと静かでもっとまともな人々)の内なる達観はとても自然で尊敬すべき点があるなあと思いました。集団の理屈を穏やかに受け入れちゃうんですよねえ。そしてそれを上手くすり抜けたり折り合いを付けて対処したりする方法も知っていて、だからいちいち騒がない。「処世」ということを良く実践している。

 といってもそれですらただの順応主義だ、半端な態度は止めて声を上げ戦うか、思い切って逃走すべきだ、というように外部から批判することは簡単なんですが。しかし他者もそれぞれ立派に正当な世界解釈を常にしている訳でして、それぞれの世界にきちんと即して見れば、何もかも善悪を超えているのであります。

 そして個人にせよ集団にせよ、そこに内在する論理というものをきちんと把握して、相手の気持ちになって考えられるようになることというのが、私が常にやろうとし、なかなかできないことなんですね。つまり相手が何を考え何を言っているのか?というのを、外部(私の価値体系)からではなく相手に即して理解したいということ。もしある考え方が一人の人間において可能であるなら、当然私もそのように考えることは可能であるということ、可能であるならば、何としてもその認識を一度は手に入れたい、すべての認識方法を知りたい、そしてゆくゆくはそれらすべての空疎さを自力で証明してみたい、ということ。それができてこそ、「自分の意志」なるものを真に生起させることも可能になると思うのです。要するに、私はまだ若い。