陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

うだうだ

 これは一体何なのか定期。人生って何なんでしょうね。夕暮れ時の涼しい風と、労働の緊張と嫌気と、孤独感と。中学生で部活から帰る時、自転車に乗って塾に行く時、授業が終わって帰る時、のような雰囲気を感じてあー・・・となります。当時はどんな気持ちだったのか、いまいち思い出せません。

 人生で大事なことは苦痛を避けることです。快楽はさして重要じゃない。快楽ってのは何かしら欲しいと思っていたものが手に入った時のやったーっていう気持ちのことですが、そこまで熱烈に求めているものもないし、私の快楽のハードルは低い。何かもう外の空気吸っただけで、割と快楽的には満たされてしまう性分なのです。あれこれ好き勝手に考えている時にも快楽を感じますが、別にそんなのいつでもできますし、今感じている程度で十分です。より強い快楽を!とはどうしてもならない。

 それより苦痛の不在が重要です。苦痛とは意に反することですから、つまり自分のやりたいことだけやって、やりたくないことはやらないというのが幸福だということになります。ここまではシンプルなんですが、しかしある苦痛を避けることで別の苦痛に直面するというのも考えなければならず、つまり働きたくないから働かないようにしたら飢えましたとか、言いたいことがあるから言ったら殺されましたとか、そういう種類の葛藤が存在します。そこで妥協しないといけないんですね。どっちかマシな方を選ぶと。そういう訳でしたくもない労働をし、言いたいことは言わずに胸に秘めておく訳であります。なんですが、こういう葛藤はたいていただの想像であって、実際働くのをやめたら飢えて野垂れ死ぬか、恥晒しと罵られるのかはやってみないとわからんですし、言いたいことを言って殺される可能性はそんなにない。仮に殺されたとしても、その苦しみは何も言わなかった場合よりむしろ小さいかもしれないのですから、現状維持が正であるとは到底言えません。なので極論、結果なんて何一つわからんのだから、とにかく今やりたいことをやれ、結果を意識するな、ということになるのですが、それはあくまで極論であって「いやいや、流石にこれは結果が見えとるわ」という場合ももちろんあるのです。そこで、結果がわかる場合とわからん場合とを区別できるか、というとうまくできないですね。だから結局悩ましい。それで結局、「やりたいことを安全にやるためにある程度、ないし入念な、準備をする」ということになりますが、そもそもそんな準備をすることは「やりたいこと」の内には入ってない訳ですから、かったるい。そして準備がいつ終わるのか、これもわからない。