陰雑記

日陰者の日記・陰弁慶の陰口

10/10

 既に知ってる曲を味わうのは簡単だ。その曲のことはもう覚えているので、思い出しながら聞くだけでいい。

 初めて聞く曲は、その曲の楽しみ方が分かっている訳ではないから、鑑賞するのが困難だ。初めて見る映画を楽しむのと、初めて聞く音楽を楽しむのとでは、後者の方が圧倒的に困難だ。映画の筋書きは少なくとも言語的脈絡があり初見でも理解可能だが、音楽はそうではないからだ。(歌詞付きの曲は映画に近い。)

 ということで音楽を楽しむには、音楽の非言語的脈絡(非意味的脈略)を掴まないといけない。楽譜をすらすら読める人で、楽譜が手元にあるのなら、曲を視覚的に行きつ戻りつして理解することができるだろうが、そうでない場合は、複数回聞いて覚えるしかない。まず覚える。鑑賞はそれからだ。これが「クラシック音楽は難しい」と言われる所以だと思う。

 という訳で「全部暗記するつもりで聞く」というのが、初めて聞く音楽に対する最も正しい態度だ。覚えるつもりで聞くと単純に集中できるという利点もある。集中して聞けば、初めて聞く曲をいきなり楽しむことすらできるかもしれない。

 

 そして明日から労働だ! 音楽よさらば!

 

労働の問題点:

特にやりたいと思っていないことをやらねばならないこと

会いたいと思っていない人間に会わねばならないこと

使い物になる・ならないが価値尺度で、人格が無視されること

→人間が人間でなくなる。にも拘らず、世間的には労働こそ人間の証みたいになっているのが極度に気持ち悪い

 

 「奴隷であることに前向きな奴隷はもはや奴隷ではない」みたいなこと言いやがるしよお。その考えこそ完成された奴隷のそれだろうが。

 

 「怠惰」という概念が存在する時点で人間は駄目だ。「怠惰な動物」なんか人間以外あり得ないだろ? 他の動物はみんなやりたいようにやってるよ。

 計画だの責任だの優劣だの考えるのは人間だけだ。それは人間の優れたところじゃなくて、出来損ないの部分なのだ。脳味噌を無駄に発達させたせいでこの苦悩。しかもそれを他の動物と異なる人間の「尊厳」と取り違える始末。自己正当化と誇大妄想!

 

 人間的な概念に拘るやつは「所詮人間でしかない人間」だ。人間でしかない人間は、逆説的に畜生と同じだ。犬は犬、豚は豚でしかいられない。更に逆説的に、それは人間的でない人間だ。人間を超えられるのが人間の特質だからだ。そしてそれ故逆説的に、人間でしかいられない人間は、人間であることに誇りを持っている癖に人間を知らず、人間以外の動物を下に見ている癖に、それらの動物と同じだ。そうして彼らは人間を超えようとする人間より「優れている」!! あの迷いのなさは間違いなく「やりたいようにやっている」禽獣のそれだからだ。

 

 要するにだな、これを逆から見ると、人間に馴染めない人間こそ真に人間的であるのに、彼らの尊厳は損なわれがちだ、ということになる。「正しく出来損ないである人間」というものが滅多にいない。これが苦悩の根本だ。